・所在地:宮崎県児湯郡高鍋町持田

・時 期:4世紀~6世紀
・時 代:古墳時代中期~後期
・形 状:古墳群
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
宮崎県のほぼ中央を南東流する小丸川の河口東岸の台地上に群在する前方後円墳9基、円墳58基の古墳群。いずれも国の史跡。4-6世紀、古墳時代中期~後期の築造と思われる。前方後円墳のうち、前方部の細長い柄鏡形のものは小丸川寄りの台地縁辺部にあり、中でも北西端に位置する計塚(はかりづか)、あるいは持田1号墳は、全長53メートル、後円部径30メートル、前方部幅20メートルで群中最大の規模を持つ。

石棺が露出している石舟塚(持田15号墳)、帆立貝塚式古墳である亀塚、山の神塚(持田26号墳)なども。

昭和のはじめに盗掘にあい、重要文化財に指定されている持田古墳群出土といわれる画文帯神獣鏡は少なくとも3面以上存在するはずものの、全国に散逸した状況。

また、やはり持田古墳群出土とされる景初四年銘(西暦240年。なお景初四年は実際にはなし)の斜縁盤龍鏡が伝わっている。景初四年の銅鏡は広峯15号墳(広島県・福知山市)からも出土している。

銘文は下記の通り。
「景初四年五月丙午之日陳是作鏡吏人△之位至三公母人△之保子宜孫寿如金石兮」(出典

実際の年号としての240年を示す正始元年銘のある銅鏡の出土例としては、柴崎蟹沢古墳(群馬県・高崎市)、竹島古墳(山口県・周南市)、森尾古墳(兵庫県・豊岡市)、そして柴崎蟹沢古墳と同型だと確認された破鏡が出土した桜井茶臼山古墳(奈良県・桜井市)がある。

なお、景初四年の前年と思われるが、実際に存在している景初三年の銘がある銅鏡は、和泉黄金塚古墳(大阪府・和泉市)と神原神社古墳(島根県・雲南市)から出土している。

【関連サイト】
高鍋大師と持田古墳群(高鍋町) - 宮崎観光遺産