・所在地:広島県福知山市東羽合町41
・経緯度:北緯35度29分16.12秒 東経135度11分67.46秒

・時 期:3世紀後半
・時 代:古墳時代前期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:-

【概要】
福知山駅の南、市街地を一望のもとに見渡すことのできる丘陵上に立地していた、広峯古墳群の盟主と目される、全長40メートル、後円部径25メートルの前方後円墳。後円部の約2分の1と前方部の側面が失われていた。

由良川流域に最初に現れた前方後円墳。盛土を用いず地山の削り出しによって形成され、段築・埴輪・葺石など外表施設はもたない。

埋葬施設は木棺直葬の土壙墓(どこうぼ)1基で、約2分の1が失われていたが、墓壙は残存長10メートル、幅5メートル。木棺は、組み合せの箱形で、残存長3.6メートル、幅0.7メートルと長大。

棺内は二分され、内面には朱が塗布されていた。主室頭部横に銅鏡1面が置かれ、副室に碧玉管玉(へきぎょくくだたま)2・鉄剣1・鉄斧1・鉄鉇(やりがんな)1が出土。

鏡には絹布がわずかに付着しており、布にくるまれて納められていたものと推定される。また、棺側棚状施設に、鉄槍1と革製品の痕跡が検出。

盤龍鏡は、面径16.8センチ、銘帯には「景初四年五月丙午之日陳是作鏡吏人詺之位至三公母人詺之母子宜孫寿如金石兮」の35文字の銘文が鋳出されている。

なお、景初は魏の年号で、魏志倭人伝に邪馬台国や卑弥呼を描写する際に出てくる年号としても有名。3年までしかないが、4年と考えると西暦240年にあたる。「景初四年」名の盤龍鏡は、持田古墳群(宮崎県・高鍋町)でも出土したと言われている。

実際の年号としての240年を示す正始元年銘のある銅鏡の出土例としては、柴崎蟹沢古墳(群馬県・高崎市)、竹島古墳(山口県・周南市)、森尾古墳(兵庫県・豊岡市)、そして柴崎蟹沢古墳と同型だと確認された破鏡が出土した桜井茶臼山古墳(奈良県・桜井市)がある。

また、景初四年の前年と思われるが、実際に存在している景初三年の銘がある銅鏡は、和泉黄金塚古墳(大阪府・和泉市)と神原神社古墳(島根県・雲南市)から出土している。

【関連サイト】
広峯15号墳出土品(国指定、考古資料1) - 福知山市