安田靫彦が描いた太安万侶と稗田阿礼のうち、稗田阿礼のみ名前:HN.稗田阿礼(ハンドルネーム ドット ひえだのあれ)

古事記について、サイトを運営してまいりましたし、これからも運営していく予定ですが、古事記を知れば知るほど、日本の神々の特質さ、興味深さというのが深まります。それに付随した、日本の歴史の奥深さ。

まさに古事記時代

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古事記で叙述されている時期、神代<先史、旧石器、縄文・弥生>~7世紀ごろ第三十三代推古天皇の崩御と第三十四代舒明天皇即位までを指す言葉として、今までも使ってまいった、オリジナルの時代区分ですが、古事記を知れば知るほど、ここがやはり日本の原点なのだとの考えが深まる一方です。

日本の神々といえば、神社。日本各地に多くの神社がありますし、必ずしもすべて古事記由来ではありませんが、古事記→「日本の神、日本人の信仰」を考えるうえで、極めて重要な施設であり、拠り所です。

また、古事記を歴史書として考えた場合、その物的証拠とも言うべき考古学上の知見、発掘成果というのも見逃せません。古事記時代に関する遺跡や古墳からの遺物出土、というのは今でも毎年のように行われています。そして、古墳こそは古事記時代の象徴でもあります。

古事記時代に関心を持つと、避けては通れないのが、邪馬台国の問題。魏志倭人伝に書かれたこの女王の都、それがどこなのか、女王とはいったい誰なのか、古事記にはそれらが明記されてはいませんが、魏志倭人伝が正しいとすれば、確実に古事記時代のこと。日本史最大の謎は、古事記時代の謎なのです。見過ごせません。

それらを包括するように、現在まで日本各地で伝わる伝統的な民俗文化財。これらも古事記時代に端を発するようなものばかりではなく、むしろ近世以降のものが多いですが、それが誕生・定着した背景には、ほぼ必ず古事記が絡んでいることが分かります。

古事記を語る上では避けては通れないものばかり。しかもそれぞれが独立して存在しているわけではなく、むしろそれぞれが有機的につながり合っています。古事記を中心としながらも、今後は今まで以上に神社、遺跡、古墳、邪馬台国、日本の文化財というものに着目して、サイトの運営に取り組んでいきたいと考えております。

そのため、サイト名も現状ではふさわしくなくなりつつあり、改名を検討しておりますが、一方で、何かを侮辱する、ふざけている、という訳ではなく、きっちり真面目に、古事記をより親しみやすくという意味での現状の「ぶっちゃけ古事記」(正直、現在も賛否両論ですが)も捨てがたく、やはり多くの日本人には近寄り難い面もある古事記時代の情報サイトとしてのタイトルとしてもギリセーフだと考えているところでもあります。サイト改名については保留事項とさせていただきたく。

今後とも引き続きよろしくお願い申し上げます。

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