・刊行:1915
・著者:渡辺村男
・出版:柳河新報社

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江戸後期に造られた武家住宅が今も残る、柳川藩の名家・渡辺家に、幕末に生まれた渡辺村男は、明治期に地方官僚として全国を飛び回り、後年は地元柳川で郷土史の大家となったことで知られる。

渡辺村男は邪馬台国について、「邪馬台国卑弥呼と女山」(『筑紫史談』第七週、大正4年11月)等も含め、その所在地を筑紫国山門郡であったとし、現在の福岡県・山門郡に比定している。

卑弥呼の居宅を女山部落の山の内にある神籠石のところとする。女山はジョヤまたはゾヤマと呼んでいるが、これを新羅の方言で「都市」を意味するもの、とした。後になって、女山の字があてられたとする。

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