・刊行:1885
・著者:星野恒
・出版:尚不愧山房等

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星野 恒(ほしの ひさし、天保10年7月7日(1839年8月15日) - 大正6年(1917年)9月6日)は、国史学者・漢学者、東京帝国大学教授。

本書は、明治12年(1879年)から明治18年(1885年)にかけて著したもの。重野安繹、久米邦武とともに『国史眼』を編纂、スサノヲが「新羅の主」であり、朝鮮と日本はもとはひとつの国であったと主張、のちに日鮮同祖論として形成される言説の先駆となった。

「日本国号考」(『史学会雑誌』第30号、明治25年5月)において、邪馬台国を筑紫国山門郡に比定、現在の福岡県・山門郡。日本書紀に記載のある田油津媛の先代こそが卑弥呼であり、田油津媛=壱与(神功皇后西征時68歳)だとする。

大和朝廷による遣使は隋代以降という観点から、それ以前の中国とのやり取りはすべて上記も含め、九州勢力によるもの、とする。ただし、僭称ではなく、この地も「ヤマト」だったために、それが史書に記載されたとする。 

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