・所在地:栃木県大田原市湯津上
・経緯度:北緯36度80分58.61秒 東経140度12分47.22秒

・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期中盤
・形 状:前方後方墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
侍塚古墳とも。前方後方墳。下侍塚古墳とともに「侍塚古墳」として国の史跡に指定された。水戸光圀により、全国初の学術的な発掘調査が行われた古墳として学史上名高い。

全長112メートル、後方部幅57メートル・高さ11.4メートル、前方部幅48メートル・高さ6.1メートル。

那珂川右岸の河岸段丘上に南面して築かれた。北方約800メートルには下侍塚古墳が所在。本古墳は那珂川地域で最大の前方後方墳であり、県内では藤本観音山古墳(足利市、117メートル)に次ぐ規模。墳丘の保存状態も良い。墳丘には葺石があり、西側には周堀の痕跡が認められる。

元禄5年(1692年)に徳川光圀の命により、日本で最初の学術的な発掘調査が下侍塚古墳とともに実施された。この調査は現在笠石神社に祀られている那須国造碑(国宝)の碑主を求めての調査だったが、それを明らかにするもの(墓誌)は出土しなかった。

主体部は墳頂下1.5メートルに設けられた粘土槨と考えられ、捩文鏡1、管玉2、石釧1、鉄鏃18、甲冑片5、鉄器片1、鉄鉾身1、鎧板1、鎧片22、鉄刀片1、高坏1が出土。

【関連サイト】
上侍塚古墳 - Wikipedia

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