・所在地:滋賀県守山市伊勢町・阿村町

・時 期:1世紀~4世紀
・時 代:弥生時代後期-古墳時代初期
・形 状:集落
・特 徴:-
・指 定:-

【概要】
東西700メートル、南北450メートル、面積30ヘクタールに達する弥生時代後期の大規模集落遺跡。大型建物群が整然と並ぶ「方形区画」。円周上に並ぶ棟持柱付大型建物。方形の竪穴住居、五角形住居などが出土。

他の地域では弥生遺跡が衰退していく紀元1世紀末頃に、この遺跡は突如出現し、紀元2世紀末に衰退し始める。つまり、邪馬台国時代前夜に、発達を遂げた不思議な遺跡として注目されている。

楼観を中心に直径220メートルほどの円を描くと、その円周上に大型建物が並んでいる。独立棟持柱付大型建物と呼ばれる特殊な大型掘立柱建物。各建物は、角度や距離を測る技術にもとづいた計画的な配置がなされ、他の弥生遺跡には例が見られない。

独立棟持柱付大型建物は、現在の伊勢の神宮本殿に見られる神明造りと呼ぶ建築様式に似ており、そのため、祭殿だったのではないかと考えられている。その類似性から、双方の地名としての“伊勢”に何らかのつながりがあるのではないかとの見方もある。

さらに、伊勢遺跡は、伊勢の神宮の式年遷宮の起源、との指摘もある。

4.5メートル×9.0メートル、床面積40.5平米のこうした大型建物が、円周に沿って、延々と30棟建っていたことも予想されており、もし同時期に30棟が存在した集落だった場合、極めて壮観なものだったことが予想され、一部では邪馬台国そのものだったのではないか、との説もある(邪馬台国近江説)。

【関連サイト】
伊勢遺跡 いせいせき 弥生時代後期では最大規模を誇る大型環濠集落遺跡

【関連記事】
後藤聡一『邪馬台国近江説―纒向遺跡「箸墓=卑弥呼の墓」説への疑問』
澤井良介『邪馬台国近江説―古代近江の点と線』 - 卑弥呼のすべては近江につながる