鵜坂神社(富山県富山市婦中町)拝殿 - Wikipedia
第八代孝元天皇の皇子オオビコは、おそらく古代日本史の謎を解く最重要人物の一人です。第十代崇神天皇の御世において、越の国に派遣され、その平定を命じられ、これを見事完遂します。史上の四道将軍、古事記では三道将軍の一人です。その武勇は、北陸のみならず、東国全般に広がり、今でも多くの神社で祀られています。

写真は、鵜坂神社(富山県富山市婦中町)拝殿(出典:Wikipedia)。主祭神は淤母陀琉神訶志古泥神ですが、オオビコも配祀されています。

日本の古代王国としては、出雲や吉備が有名ですが、越の国もそれに匹敵する影響力を持っていたであろうことは、古事記だけからもうかがい知れます。ヌナカワ姫の時代、あるいはそれ以前から、独自の文化や権力を築き上げてきていたであろう越の国も、おそらくはこのオオビコの活躍を機に、徐々にだとは思われますがヤマトに組み込まれていくことになったと思われます。

オオビコは、古事記の記述ではそれほど多くを割かれているわけではありません。
1.タケハニヤスの反逆の討伐
2.越の国に向かう(おそらく平定)
3.子であり、東海道に派遣された四道将軍の一人タケヌナカワワケと会津で合流
およそ以上に収れんされます。四道将軍としての活躍は、あまり描かれてはいません。

子の名前に「ヌナカワ」が入るのは偶然でしょうか? 第二代綏靖天皇の名にも「ヌナカワ」が入ります。この「ヌナカワ」の系譜を思い起こすことも、北陸新幹線の延伸という今はよい機会かもしれません。

そして、何より注目されるのは、埼玉県の稲荷山古墳出土・金錯銘鉄剣に見える「意富比垝」に比定する説が有力であること。記紀はあくまでも後世の書物ですが、5世紀の遺物にその名がみえる、というのは、色々な解釈はあっても、素直にすごいことと思います。記紀の評価も間接的ながら上がりました。

詳細は不明ながら、北陸を中心に、東国で活躍したことはほぼ間違いないオオビコ。それに対応するように、オオビコを祀る神社も、富山県、新潟県、長野県に多く存在しています。

[オオビコをお祀りする神社 参照(一部抜粋)]
・布勢神社(富山県氷見市布施1826)
・道神社(富山県高岡市五十里字沼田3721)[式内社紹介
・道神社(富山県射水市作道1846)
・鵜坂神社(富山県富山市婦中町鵜坂212)[式内社紹介
・船江太神宮(新潟県新潟市中央区古町通一番町500)
・三宅神社(新潟県長岡市妙見町215)
・小布勢神社(新潟県三条市大字上保内丙1288)
・大神社(新潟県糸魚川市大字平字森本1345)[式内社紹介
・舟津神社(福井県鯖江市舟津町1-3-5)
・布制神社(長野県長野市篠ノ井布施五明235)[式内社紹介
・布制神社(長野県長野市篠ノ井字山布施1)[式内社紹介
・布制神社(長野県長野市篠ノ井石川布制山2173)[式内社紹介

今回の北陸新幹線の長野-金沢延伸ルートに重なることは言うまでもないことですが、偶然でもありません。古事記 - オオビコ - 北陸新幹線は密接につながっているのです。

オオビコにより、古代越の国王国は滅んだかもしれませんが、ヤマトに組み込まれることでまた新たな歴史が始まったように、北陸新幹線により、東京との距離が史上空前に縮まり、また新たな北陸の歴史が始まる。これがホントの歴史は繰り返す、かもしれません。

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