・所在地:奈良県磯城郡田原本町唐古

・時 期:紀元前3世紀世紀~4世紀
・時 代:弥生時代前期-古墳時代初期
・形 状:環濠集落
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
からこ・かぎ・いせき。奈良盆地中央部、標高約48メートル前後の沖積地、奈良県磯城郡田原本町大字唐古及び大字鍵に立地する弥生時代の環濠集落遺跡。

現在知られている遺跡面積は約30万平米。規模の大きさのみならず、大型建物の跡地や青銅器鋳造炉など工房の跡地が発見され、話題となった。国の史跡に指定され、ここから出土した土器に描かれていた多層式の楼閣が遺跡内に復元されている。

全国から翡翠(ヒスイ)や土器などが集まる一方、銅鐸の主要な製造地でもあったと見られ、弥生時代の日本列島内でも重要な勢力の拠点があった集落ではないかと見られている。

前期において、弥生時代としてはもっとも古い総柱の大形建物跡が検出されている。

中期において、3か所の居住域周辺に環濠が巡らされる。その後一つの居住域に統合される(長径約500メートル、短径約400メートルの不整円形)。

内側の環濠は幅8メートル以上、その大環濠を囲むように幅4~5メートルの環濠が4~5重に巡らされる多重環濠。これらの多重環濠群は居住区の外縁を幅150~200メートルで囲み、環濠帯を形成している。

中期後半になると、楼閣などの建物・動物・人物の絵画を土器に描く風習が確認される。また、洪水により環濠が埋没。

後期、洪水後に環濠再掘削が行われ、環濠帯の広さも最大規模となる。集落南部で青銅器の製作が確認できる。

古墳時代の初期、一度放棄した環濠集落を再度形成する。

【関連サイト】
唐古・鍵遺跡 - Wikipedia

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