・所在地:島根県雲南市加茂町岩倉837−24

・時 期:紀元前3世紀~1世紀
・時 代:弥生時代中期
・形 状:銅鐸
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
かもいわくらいせき。弥生時代の遺跡。国の史跡に指定されている

1996年に加茂町(現雲南市)岩倉の丘で農道工事中に発見された。重機で掘削中に、突然、異様な音がしたため、運転者は直ちに重機を止め、「どこの誰がポリバケツをこんなところに埋めたのか」と考えつつそばに行くと、ポリバケツならぬ「銅鐸」だった。

当時、加茂町長であった速水雄一(後に雲南市長となる)が学問と教育の里というテーマで町おこしを行っていたことから、町役場にはただちに遺跡発見の連絡が入り、1996年より1997年の2年間にわたり、加茂町教育委員会と島根県教育委員会により発掘調査が行われた。

発掘の結果、一カ所からの出土例としては日本最多となる39口の銅鐸が発見された。出土品は国(文化庁)が所有し、島根県立古代出雲歴史博物館に保管されている。出土した39口の銅鐸は国宝に指定された。

発見当初に建設重機を停止したことが幸いし、埋納の痕跡も良く残っており、どのように配置されたのかといった詳細な学術情報が研究者にもたらされた。また、1997年度の調査では、銅鐸が埋められていた坑から3メートル離れた場所に別の坑も発見されたが、こちらからは遺物が全く出土していない。

遺跡は先に発見され358本の大量の銅剣が出土した荒神谷遺跡と山を隔てて南東に僅か3.4キロしか離れておらず、両遺跡から出土の銅鐸に「×」印の刻印があることから両遺跡は関係あることが分かっている。

【関連サイト】
加茂岩倉遺跡 - Wikipedia

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