・所在地:福岡県福岡市博多区板付3丁目21−1
・経緯度:北緯33度56分54.51秒 東経130度45分09.11秒

・時 期:紀元前3世紀~3世紀
・時 代:弥生時代初期-後期
・形 状:環濠集落
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
いたづけいせき。福岡平野のほぼ中央に位置し、標高7~9メートルほどの段丘と周辺の沖積地に広がっている。縄文時代晩期から弥生時代後期の遺跡。国の史跡。

佐賀県唐津市にある菜畑遺跡と共に日本最古の水稲耕作跡で、福岡県粕屋町の江辻遺跡に次ぐ、日本でも最初期の環濠集落。

1916年(大正5年)に、中山平次郎が、甕棺内から青銅製の矛や剣が出土したことを学会に報告した。弥生式土器に金属器がともなうことの初めての報告。

低台地上の環濠集落と周辺の沖積地には水田跡が広がり、やや離れた位置には墓地が見られる。環濠の内部は後世の削平で失われており、現在復元されている竪穴住居は、江辻遺跡などの同時期の住居址を元に復元されたもの。

環濠は、平面形は卵形で、南北110メートル、東西81メートル。幅1~5メートル、深さ1~2.5メートル、断面V字形。内外側に1~1.5メートルほどの土塁を作っていたと推定されている。

穀物などの貯蔵穴は地面に掘った穴蔵で、平面形は方形または長方形で、時期が下ると円形になる。深さは1~2メートルほどで、断面形が袋状になる。夜臼期から板付Ⅱ式までの貯蔵穴があり、環濠の北側と南側で合計200基以上確認されている。

魏志倭人伝に記載のある奴国領域と思われる。

【関連サイト】
板付遺跡 - Wikipedia 

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