邪馬台国論争 (講談社選書メチエ)
・刊行:1995/7
・著者:岡本健一
・出版:講談社

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邪馬台国はどこか。全国各地が名のりをあげ、論争ははてしなく続く…

1994年、京都府丹後から「青龍三年鏡」が発見された。「卑弥呼の鏡」か。がぜん畿内説が優位にたった。

しかし、北九州論者も猛反撃する。侃々諤々の大論争をわかりやすく整理し、さらに、前方後円墳に注目した独自の論を展開。

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日本は山国であり、「ヤマト」と呼ばれる資格は至る所にあったが、大師は弘法、黄門は光圀のように、ヤマトは特異な山=三輪山とし、その山麓に築かれた箸墓古墳(奈良県・桜井市)を重視する。邪馬台国畿内説と言える。

以前から唱えられていた、前方後円墳は壺型の蓬莱山を模したものであり、中国の神仙思想の影響を色濃く受けた結果生まれた、とする。どうしてあの形になったのか、という、あまり踏み込む人のいない前方後円墳の造形論として興味深い。

しかし、そこまで強く神仙思想を受けた割に、その後の日本の葬送や祭祀にその影響があまり見られない、その程度の影響であったのに、あれだけ大規模なものを、350年もの間造り続けた、突如始まり突如終わるという推移などに説明がつきづらい。