邪馬台国時代のツクシとヤマト
・刊行:2006/9
・著者:鈴木一郎
・出版:西日本新聞社

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歴史学と考古学の「結婚」によって描かれた3世紀の日中関係と邪馬壹国をめぐる倭の国々の相剋。

著者からのコメント
卑弥呼の使いは、景初2年6月帯方郡に到着しました。皇帝の詔書は景初2年12月に出されています。晋書には。翌翌年の正月倭国の通訳が朝献しています。そうして、その年のうちに、帯方郡の使いが倭国に贈物が届けられています。

100枚の銅鏡は、倭国向けに作られたのです。その場所は洛陽です。洛陽には皇帝専属の工房である尚方がありました。洛陽で作られたとすれば、鏡の紋様は、神獣鏡であるはずはありません。内行花文鏡や異体字銘帯鏡のような漢の伝統を引く文様のものです。

これらの鏡は、漢の時代だけではなく、魏や晋の時代にも作られています。神獣鏡や画像鏡は、紹興や鄂州で作られており、呉の領域で作られています。後漢終末期の年代のものもありますが、これも紹興で作られているのです。

したがって。魏が贈った鏡は、いわゆる後漢式や前漢式のものです。

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