2015年3月1日(日)まで、九州国立博物館(福岡県・太宰府市)で、特別展「古代日本と百済の交流」が開かれています。朝鮮半島で栄えた百済と日本の深い関わりを紹介する特別展。日韓の文化財99件を展示していると言います。西日本新聞が報じています

古事記において、百済は計4か所、出てきます。初出は神功皇后の三韓征伐の折、主ターゲットは新羅で、その国王が下ったような記述があり、その流れの中で百済についても触れられています。

残りは第十五代応神天皇の御世。建内宿禰に命じて、百済池を作らせたこと。新羅人が来たのに、造成した池の名称が百済となっている、ちょっとよく分からない個所です。また、百済王が朝貢してきたこと、その後に、頼んで、というか命じたのか、「賢い者を寄こせ」としています。

古事記では、まあ国情からか、かなり上から目線で百済をとらえているようですが、多くの技術や文物が百済からもたらされたことは間違いなく、また、当時の日本からも百済に多くのものが渡ったことが予想されます。

古事記の時代ではなくなりますが、百済滅亡を契機として、日本が百済再興のために朝鮮出兵した白村江の戦い(663年)が、日本―百済の結びつきの強さを示すものとして知られています。この戦いに惨敗したために、現在でもちょうど九州国立博物館の近くに残っている水城が造成された、ということになります。(ページ上の動画参照)

そうした交流の歴史を紹介する特別展に花を添えるのが、石上神宮(奈良県・天理市)所蔵の国宝・七支刀。『日本書紀』には4世紀頃、倭に対し百済が朝貢した際に七枝刀(ななつさやのたち)が献上されたものとされ、関連が指摘されるこの刀は、今回、九州初上陸、とのこと。献上された時には、九州から上陸してきた、とは思いますが。。

ともかく、日韓の国宝・重文級の文化財が展示されているようなので、非常に楽しみです。出品目録はこちら(PDF)から。

その他、特別展「古代日本と百済の交流」の特設サイトが九州国立博物館公式サイト内に開設されていますので、このサイトを見るだけでも、当時の日本―百済の関係に思いを馳せられるかも。

また、同時開催で、文化庁の日本発掘展も開かれているとのこと。発掘調査速報(2011201220132014)が毎年6月ごろ出され、2015年も楽しみですが、こうした実際の出土品を鑑賞できる貴重な機会ですね。

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