上代日支交通史の研究 (1943年)
・刊行:1943
・著者:藤田元春
・出版:刀江書院

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藤田 元春(ふじた もとはる、1879年2月4日 - 1958年4月13日)は、地理学者。京都府美山町の神官の家に生まれる。1900年京都府師範学校を卒業、教員となる。1916年京都帝国大学文学部史学科に選科生として入学、京都帝国大学卒。小川琢治、内藤湖南に学ぶ。

1925年第三高等学校教授兼大阪高等学校教授。1944年定年退官、戦後は山梨大学教授、立命館大学教授。1947年「日支交通の研究」で京都帝大文学博士。

藤田元春は本書第五章の「魏志倭人伝の道里について」なども含め、邪馬台国論争において、邪馬台国の位置を「畿内」に比定した。

卑弥呼については、紀年論との兼ね合いから、内藤湖南説のヤマトヒメか、那珂通世が正しければトヨスキイリビメとしている。第十二代景行天皇の皇女である五百野皇女(いおののおうじょ)を壱与に比定。また、難升米はタジマモリとする。

投馬国を鞆(鞆の浦)に比定し、そこから水行十日陸行一月を瀬戸内海航路と、難波津からの上陸と考える。難波津から大和まで一月というのは、後世にも例があるとして、正使の訪問の場合、あり得る、とした。

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