・刊行:1985/5
・著者:中山平次郎
・出版:築地書館

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中山平次郎は中山 平次郎(なかやま へいじろう、1871年7月20日(明治4年6月3日) - 1956年(昭和31年)4月29日)は、明治後期から昭和前期にかけての日本の病理学者、考古学者。死没時の称号、位階勲等および学位は九州大学名誉教授正三位勲二等医学博士。

金印の研究で知られており、「漢委奴国王印出土状態より見たる漢魏時代の倭国の動静に就て」(『考古学雑誌』第五巻第二号、大正3年10月15日)で、志賀島で発見された金印について、金印が倭国の大乱のあおりを受けて隠されたものである、という説を発表した。

その中で、「邪馬台国卑弥呼女王即位に至るまでの倭国の政情が連想せられる。大倭王即ち邪馬台国王は倭国本来の主権者であったが、―邪馬台の本国は今の筑紫国山門郡にあった―」などとしている。

比定地はともかく、それまでの九州説といえば、多かれ少なかれ熊襲、亜流というイメージが付された論が大半だったのに対して、「倭国本来の主権者」とすることで、九州邪馬台国の正統性をほぼ初めて指摘する説となる。

また、昭和3年(1928年)9月、「考古学雑誌」に「魏志倭人伝の生口」を発表、橋本増吉や、市村さん次郎稲葉岩吉らを巻き込む「生口論争」が展開された。

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