・所在地:熊本県玉名郡和水町江田

・時 期:5世紀~6世紀初頭
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
清原古墳群(せいばるこふんぐん)の中で最古・最大の前方後円墳で、日本最古の本格的記録文書である75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀が出土したことで有名。国の史跡に指定されている。

5世紀末から6世紀初頭に築造されたと推測され、墳丘長62メートル、盾形の周濠をもつ。1873年(明治6年)以降発掘され、豊富な副葬品が出土している。これらの大部分は東京国立博物館に所蔵され、1965年(昭和40年)に国宝に指定されている。

古墳の周りには、短甲を着けた武人の石人が配置されている。このような古墳の周りに石人・石馬を配置するという独特の型式は、石人山古墳に始まり、6世紀前葉の岩戸山古墳で最盛期を迎え、以後、消滅する。

この岩戸山古墳が筑紫の君の磐井の墓であると目され、この古墳も筑紫の君一族の配下に連なって地域の中首長の墓であったことが想像できる。被葬者は3名とされる。

出土した銀象嵌銘鉄刀には「獲□□□鹵大王」の銘文があり、稲荷山古墳(埼玉県・行田市)から出土した金錯銘鉄剣の「獲加多支鹵大王」と同様、「ワカタケル大王」と読まれ、第二十一代雄略天皇に比定されている。

被葬者のムリテは雄略の宮廷で役所に勤務する文官「典曹人(てんそうじん)」として仕えたことが分かる。

【関連サイト】
江田船山古墳 - Wikipedia

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