Fujiwarakyo2
奈良県高取町教委は2014年12月18日、藤原宮(694-710年、同県橿原市)の瓦を焼いた7世紀末の窯跡が、同町市尾の調査地で見つかったと発表しました。周辺は藤原宮で使われた瓦の最大産地とみられていましたが、窯跡の発見は初めて。燃焼室など窯の構成部分が全て良好な状態で残り、天皇が執務する大極殿に使う軒丸瓦(のきまるがわら・直径約20センチ、厚さ約5センチ)も出土したと言います。町教委は「窯の構造がよく分かり、貴重な成果だ」としています。毎日新聞が報じています。画像は、藤原京の条坊の様子(出典:Wikipedia)。

藤原宮は、藤原京のほぼ真ん中に位置した、ほぼ1キロ四方の広さの政庁。宮の主要建築物は礎石建築で、日本の宮殿建築としては初めて瓦を葺いたと考えられています。今回の発見は、その瓦の主要な生産現場が判明するとともに、実際に使用された瓦と同じと思われるものが明らかになったため、その意義は大きいと思われます。

藤原京は5.3キロ四方あり、少なくとも25平方キロメートル。これは後の平城京(24平方キロメートル)や平安京(23平方キロメートル)をしのぐ、古代日本最大の構想を持った都となります。時代が下るにつれて、都城の規模が縮小しているのも興味深い点ではあります。

「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」として世界遺産登録への準備を進めている藤原宮。時期的には、ちょうど古事記が編纂されつつある頃の都。もしかすると、実際この都で古事記が編纂されたのかもしれません。完成は平城京だとしても。

最近、とみに新たな考古学成果が重なりつつあります。今回の発見も含め、さらなる調査研究が進みますことを祈念します。