日本武尊の東夷征伐を題材にした神楽です。九州の豪族熊襲(くまそ)を平らげた日本武尊は、父、景行天皇に報告しますがすぐさま東の国を平定するよう命ぜられ、東国へ出発します。道中、伊勢の宮に参拝し、叔母君大和姫に会い天の村雲の剣と火打ち石を賜ります。

一方、駿河(するが)の国にすむ兄ぎし、弟ぎしたちは、天皇の命令に従わないため征伐されると聞き賊首(ひとこのかみ)に教えを請います。「この野には、人々に害を与える大鹿がいる」と欺き、日本武尊が大野に入ったところを、八方より火を付け焼き殺そうとしますが、宝剣が自然と抜け出て、草をなぎ払い守袋の中の火打ち石で迎え火を付けて日本武尊は難をのがれ、兄弟たちは退治されてしまいます。

元祖ヒーロー、ヤマトタケルの武勇伝だよ!(出典:なつかしの国 石見

【ぶっちゃけ式解説】
「元祖ヒーロー、ヤマトタケルの武勇伝だよ!」とみて、ふと思った。「ヤマトタケルって、ヒーローだったことがあるのか?」。

戦後は記紀や神話が軽んじられる風潮で進み、現在では再評価は進んでいるものの、総じて古代の神々や人物が低評価になっているのは分からなくはないとしても、では戦前は? スーパーヒーローになっていてもおかしくないのではないか。古事記でも大変な分量が割かれている、その意味で英雄の一人だし。

しかし、神武天皇神功皇后などと比べると、あくまでもイメージだが、ヤマトタケルがそれらよりも高い評価を得て、人気を博していたとは思えない。古事記に描かれたヤマトタケルは、なかなかに朱子学的皇国史観による解釈が難しかったのかもしれません。

そうなると、今に至るまで、名前は知られていても、何をやった人? となって、ヒーローとは言い難いのではないか? いや、この石見神楽の演目やその解説にいちゃもんをつけるつもりはなく、こうしたキレイな勧善懲悪の形にして、ヤマトタケルを再評価する必要が、実は今でもあるのかな、と。

古事記に描かれた真のヤマトタケルは、非常に馴染みやすい(人間的、という意味で)半面、卑怯、と言っては言い過ぎ? で、狡知に長け、複数の女性に同じように愛を注げられるプレーボーイ的なところもありますが、まずはヤマトタケルを知ってもらうことの方が先でしょうか。

ちなみに、子の第十四代仲哀天皇が活躍する「塵輪」が、孫の第十五代応神天皇が活躍する「八幡」が、石見神楽にはそれぞれあります。

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