むかし唐の玄宗(げんそう)皇帝が病床に臥していました。

この時、夢の中に1人の神が現われ、鬼を退治しました。皇帝が夢からさめると急に病が癒えたので、画人を呼んでその神の像を描かせると、長く豊かな髭を蓄え、中国の官人の衣裳を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿は「鍾馗」であると明らかに。

この演目は能楽「鍾馗(しょうき)」「皇帝」の物語と、須佐之男命(すさのおのみこと)と蘇民将来(そみんしょうらい)との「茅の輪(ちのわ)」の故事が合体したものと考えられています。

鍾馗の神髄がわかるなら、もうあなたは立派な神楽通! 数ある演目の中でも、ひときわ豪華な衣裳も見所だよ! (出典:なつかしの国 石見

【ぶっちゃけ式解説】
蘇民将来の話は古事記には登場しません。古事記成立よりも新しい説話のようですが、スサノヲを語る上では、欠かすことのできない一要素ではあります。とはいっても、蘇民将来、よく分かっていない、というのが実情のようです。

結果だけ見れば、スサノヲ=蘇民将来であり、それは疫鬼の総元締め。あまりにも強すぎるパワーのため、スサノヲが、つまり蘇民将来が指定した人には悪霊や疫鬼が寄り付かない、つまり結局は災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神である、と。

疫鬼の総元締め、つまり疫神の王が、実は福の神、というところがスゴイ。

そこが、「鬼より強い」と言われる“鍾馗”と結びついた所以かもしれません。マイナスを掛け合わせれば、大きなプラスになる。怨霊→御霊とも結びつきやすかったかも。

古事記だけみれば、スサノヲはそれほど虐げられた、という印象は少ないのですが、登場後期では、なぜか黄泉の国の住人になっており、押し込められた感が漂います。そこでも偉そうにしているところがスサノヲですが。

古事記以外のスサノヲの説話を見ると、やはり虐げられてきた神と言えそうで、そうした負のパワーは神社で祀るだけでは足りない、何らかの形で発散させないと大変なことになる、という、日本独自の宗教的な思考が、その誕生にはかかわっているのかもしれません。

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