大阪府の長原高廻り2号墳出土の船形埴輪
広島県福山市の御領遺跡で出土した弥生時代後期(2-3世紀)の土器片に屋根のある船室(キャビン)を備えた船が線刻されていたことが分かり、2014年12月17日、広島県教育事業団埋蔵文化財調査室が発表しました。弥生時代の船の絵は全国で20例以上見つかっているが、船室を描いたものは初めて。産経新聞が報じています。写真は大阪府の長原高廻り2号墳出土の船形埴輪(出典:弥生ミュージアム

御領遺跡は、福山市神辺町の下御領から上御領にかけて、東西約1.6㎞、南北約1.4㎞の範囲に広がる縄文時代から中世にかけての遺跡。魏志倭人伝はもちろん、古事記にも船の描写、船で移動したと思われる記述は多数あり、今回の発見は我々が思っている以上に、当時の造船技術が高かったことを示す材料となりそうです。

今回発見された船の形は準構造船とみられるようです。日本原産の和船の一種で、丸太をくり抜いて造った丸木舟に竪板や、舷側板等の部品を組み合わせたものを言います。鳥取県の角吉稲田遺跡の土器や福井県春江町出土の銅鐸などに描かれた、多数の漕手と櫂が表現された大型船です。

準構造船の全体がわかる船の出土例はまだありませんが、先の土器や銅鐸などの他には、滋賀県守山市赤野井浜遺跡などから舳先や舷側板の一部が出土しています。

半島や大陸はもとより、日本国内でも船での移動の方が便利だったというケースが、おそらくかなり多かったのではないかと予測されており、その意味ではその当時の人々の主要な足でもあったわけで、こうした造船に関する歴史研究というものも、今後の発展に期待したいところです。