・所在地:茨城県石岡市北根本
・経緯度:北緯36度16分78.31秒 東経140度28分97.23秒

・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期後半
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
舟塚山古墳群に属する、5世紀後半の築造と推定される前方後円墳。国の史跡に指定されている。茨城県では最大、東日本では太田天神山古墳(群馬県・太田市)に次いで第2位の規模を誇る。

恋瀬川が霞ヶ浦に注ぐ河口近くの台地縁辺に位置する。北東約300メートルには同じく前方後円墳の府中愛宕山古墳があるが、そちらが霞ヶ浦に乗り出す形から「出舟」と称されるのに対して、舟塚山古墳は「入舟」と称される。

墳丘長186メートル、後円部径90メートル・後円部高さ11メートル、前方部幅100メートル・前方部高さ10メートル。大豪族の首長墓であると見られている。

墳丘は3段築成。後円部径に比べて前方部が長いが、この特徴は大仙陵古墳(大阪府・堺市)やウワナベ古墳(奈良県・奈良市)と共通する。周囲には堀が巡らされている。

主体部の発掘調査はなされておらず、古墳の詳細は未だ明らかではない。地元の伝承では、本古墳からは多数の刀が出土したという。1972年(昭和47年)の周溝確認発掘調査の際に円筒埴輪が出土したが、形象埴輪は確認されていない。

また、その調査において本古墳の陪塚と見られる円墳(舟塚山古墳群17号墳)から木棺が発見され、副葬品として短甲・直刀・盾等が出土した。『先代旧事本紀』に見える筑紫刀禰(初代茨城国造)の墳墓に比定する説がある。

【関連サイト】
舟塚山古墳 - Wikipedia