瓊瓊杵命にブサイクと言われ傷心の磐長姫尊が身を隠した地
[住所]静岡県賀茂郡松崎町雲見386-1
[電話]0558-42-0745

雲見浅間神社(せんげんじんじゃ)は、静岡県賀茂郡松崎町雲見にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「伊波乃比咩命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

標高162メートルの烏帽子山(えぼしやま)に鎮座する。雲見神社や御嶽浅間宮とも。

鎮座する烏帽子山は、御嶽山(おんたけさん)とも雲見ヶ嶽(くもみがたけ)とも呼ばれ、伊豆半島の最西端となる海岸に立つ、独立した凝灰岩質の岩山。

その中腹に拝殿と中の宮(女宮)があり、山頂の直ぐ下に本殿がある。往古は女人禁制で、女性は中の宮までしか参拝できなかった。

麓の国道136号線から徒歩で25分ほどで2箇所の拝殿を経由して本殿に至るが、途中の428段の石段は極めて急で足場の悪い箇所もある。

また、絶景で知られる山頂付近は、常に強風に晒されているため、健脚を要し、ハイヒールなど軽装は禁物である。

創建時期や由緒は不詳。伝説などに基づけば、神代となる。『伊豆国神階帳』に「従四位上石戸の明神」と記されている。

『豆州志稿』には、「『石戸の明神』とは、海中に浅間門と呼ばれる石門があるため」との記述がある。

実際に烏帽子山の南側800メートルほどの海上にある千貫門(せんがんもん)がこれに相当すると考えられている。

また社伝によると、本殿が台風によって飛ばされて海中に落ちたため、江戸時代前期の明暦3年(1657年)に再建されたという。

御祭神は磐長姫尊。富士山および富士山本宮浅間大社の御祭神である木花開耶姫命の姉であり、大山祗命の娘である。

姉の磐長姫尊はブサイクだが、妃に娶ればその子は岩のような長命を授かり、一方、妹の木花開耶姫命は絶世の美女だが、その子の命は花のように短い、とされていた。

天孫である瓊瓊杵命は、葦原中国に降臨して木花開耶姫命に一目惚れし、大山祗命は姉の磐長姫尊もともに妃として差し出した。

しかし、瓊瓊杵命は磐長姫尊をブサイクとして疎んじ、大山祗命の許へ返してしまった。『古事記』にもあるこの話。

当社では、この後として、これを悲しんだ磐長姫尊が雲見に隠れ住み、仲良しだった姉妹も互いに憎み合うようになってしまった、とする。

本居宣長『古事記伝』には、「美人の妹(富士山)に嫉妬した醜女の姉(烏帽子山)が雲見に逃れて小さな岩山に祀られ、優しい妹は姉を心配して背伸びをして捜したので、ますます背が高く美しくなった」との伝説が記されている。

また、地元には「烏帽子山が晴れる時には富士山が雲に隠れ、逆に富士山が晴れる時には烏帽子山付近の天候が悪くなる」とも伝わる。

さらに、「烏帽子山に登って富士山を誉め賛えると海中に振り落とされる」とも。地元の人は富士登山を忌み、また「富士」という言葉は永く禁句だったという。

これらとは別に「木挽きの善六」の伝説もある。昔、岩科村(現 松崎町岩科)に善六という木挽きがいた。

大男で大飯喰らいであったが、木挽きとしての腕は振るわず、日頃木挽き仲間や子供達からも馬鹿にされていた。

それを口惜しく思った善六は一念発起し、当社に21日の断食祈願をかけて霊力を得た。上達した善六は当地はもちろん、江戸にまでその名を知られる立派な職人になった。

善六が試し斬りをしたとされる大岩が現在も山中に残る、とされる。

『雲見神社参詣記』によれば、例祭の日になると普段は見ることがない体長1丈余(約3メートル)のシュモクザメと大きなウミガメが海上に姿を現し、一日中、烏帽子山に添って回遊するという。

現在の例祭は、7月14日・15日・16日。

なお、式内社「伊波乃比咩命神社」の論社は他に、東京都三宅村の二宮神社に合祀された式内同名神社がある。

【ご利益】
健康長寿、病気平癒、諸願成就
雲見浅間神社 静岡県賀茂郡松崎町雲見
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