・所在地:奈良県桜井市忍阪547
・経緯度:北緯34度50分75.37秒 東経135度87分71.70秒

・時 期:7世紀中頃
・時 代:古墳時代終末期
・形 状:八角墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)」として第三十四代舒明天皇の陵に治定されている。なお宮内庁では墳形を上円下方墳としている。

外鎌山から南に伸びる尾根の先端に築造されている。さらに谷間の奥には、鏡女王墓と押坂内墓がある。

墳形は台形状の方形壇の上に八角形の墳丘をのせるという、上八角下方墳とも言うべき姿をしている。下部の方形壇は3段で築成されており、最下段の前面は幅約105メートル。

方形壇の各段の斜面には自然石を用いた貼石が存在している。八角部は2段築成で、下段の対辺間距離は約42メートル。宮内庁の調査により八角部の下段は板石(榛原石)により墳丘が覆われていることがわかった。

宮内庁の調査において、八角部の前面に羨道天井石らしきものが確認されている。仮に通常の古墳に見られるように八角形の中心部を奥壁だと仮定すれば、全長20メートルを超える巨大な横穴式石室が想定される。

忍坂の地に築かれた古墳としては抜きんでた規模をもっており、八角形という特異な墳丘をもつことから、舒明天皇の押坂内陵である可能性は極めて高い、とされる。

そうであれば、八角墳は前方後円墳消滅後、皇族や有力豪族が採用した方墳や円墳に替わるものとして新たに採用されたものであり、段ノ塚古墳は天皇陵として初めて八角墳を採用した古墳ということになる。

なお、舒明天皇初葬地とも思われる方墳が、2015年1月、奈良県・明日香村で見つかっている。

舒明天皇は古事記最後に記載された天皇。通常、古事記最後は第三十三代推古天皇とされるし、名や宮、陵墓などの情報とともに系譜が詳細に記されているのは、確かに推古天皇までだが、その存在を古事記では記載していることは間違いない。

父はオサカノヒコヒト。その墓は新木山古墳(奈良県・北葛城郡)に治定されている。

【関連サイト】
段ノ塚古墳 - Wikipedia

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