熱田神宮の創祀以前に草薙の剣が奉斎された地、宮簀媛の邸宅付近
[住所]愛知県名古屋市緑区大高町字火上山1-3
[電話]052-621-5935

氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)は、愛知県名古屋市緑区大高町火上山にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「火上姉子神社(尾張国・愛智郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

氷上山あるいは火上山と称される丘陵上に鎮座し、熱田神宮の創祀以前に草薙の剣が奉斎された地といわれる。地元では「お氷上さん」と呼ばれ、信仰されている。

御祭神は宮簀媛命。『古事記』では「美夜受比売」の表記で尾張国造の祖、第12代景行天皇皇子である日本武尊の妃。

熱田神宮の縁起で、鎌倉時代初期頃の成立である『尾張国熱田太神宮縁記』によれば、日本武尊は東征の途中で尾張国愛智郡氷上邑にある建稲種命の館に寄った。

そこで、建稲種命の妹の宮酢媛(宮簀媛)を知って契りを結んだ。建稲種命は日本武尊の東征に従い、日本武尊とは別の道を行ったが、帰途で亡くなった。

それを知った日本武尊は宮酢媛のもとへ急いで向かい、そこにしばらく留まった。その後、日本武尊は神剣を宮酢媛のもとに置いて大和へと出発した。

その途中、伊吹山で病にかかり、ついに伊勢国能褒野で亡くなった。宮酢媛はその後も神剣を守っていたが、年老いたため祠に祀ることとした。

占地して社地を定め、熱田社と名付けたという。熱田神宮の創祀である。また、宮酢媛が亡くなった時には祠が建てられた。これが当社の創祀。

当社の社伝では、より具体的に、宮酢媛との間ではないが、日本武尊の子である第14代仲哀天皇4年、宮酢媛の館跡(現 元宮)に宮簀媛命の神霊を祀ったのを創祀とする。

『古事記』での日本武尊と美夜受比売の伝承とは微妙に違うが、大きくは違わず、補完し合っている。持統天皇4年(690年)、東方の現社地に遷座した。

『延喜式神名帳』にある「火上」と表記されたが、『尾張国内神名帳』では「氷上姉子天神」と記載された。熱田七社の一社として崇敬された。

『百錬抄』によれば、寛治7年(1093年)に尾張国の「火上社」の臥木が起き立ったことに関して朝廷で議定のことがあった。

また伝承では、平治2年(1160年)に源義朝が知多郡に赴く途中で太刀1口を当社に献上したという。

社殿の造営に関して、史料では古く寛正2年(1461年)の造営が確認できる。そのほか永正6年(1509年)、天文12年(1543年)に修理のあったことが知られる。

文明14年(1482年)の文書によると、神仏習合時代には境内に神宮寺・阿弥陀堂などの仏教施設が建てられていた。

江戸時代に入り、貞享3年(1686年)には江戸幕府による熱田神宮造営に合わせて当社にも修理があった。『尾張名所図会』では当時の社殿の様子が描かれている。

また『寛文覚書』では、この頃の社領に「氷上大明神」の社内地として4町2反9畝歩の記載がある。

明治維新後、明治5年(1872年)に郷社に列したが、明治13年(1880年)に熱田神宮摂社に復した。

社殿は明治21年(1888年)に火災で焼失したため、明治26年(1893年)に熱田神宮別宮の八剣宮社殿が移築・転用された。

その後、昭和61年(1986年)に本殿の修理および渡殿・幣殿・拝殿・社務所の再建があって現在に至っている。

例祭は10月第1日曜。「大高祭」とも。各地区から花車が出されて市内練り歩きが行われる。

熱田神宮での神輿渡御神事の翌日の5月6日、神宮から頭人が派遣されて氷上姉子神社を参拝する頭人祭がある。

6月第4日曜には大高斎田御田植祭があり、9月28日には大高斎田抜穂祭がある。

3月最終日曜には太々神楽が奉納される。かつて熱田神宮で奉納された神楽といわれ、江戸時代中期に始まったとされる。

境内には元宮と宮簀媛命宅阯碑、その周辺には熱田神宮の斎田(大高斎田)のほか、沓脱島跡・寝覚めの里といった神蹟がある。

境内末社として、元宮の他、神明社(天照大神)、玉根社(少彦名命)があり、境外末社として、名古屋市緑区大高町東姥神に当地地主神である朝苧社(火上老婆霊)がある。

当社から見て北東5キロほどの所には、当社縁起にも関係のある成海神社がある。

【ご利益】
諸願成就、縁結び、夫婦和合、家内安全
氷上姉子神社 愛知県名古屋市緑区大高町火上山
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氷上姉子神社 愛知県名古屋市緑区大高町火上山の御朱印