・所在地:大阪府藤井寺市道明寺6丁目

・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
古市古墳群に属し、三ツ塚古墳の東側の方墳。第十五代応神天皇の皇后ナカツヒメの陵とされる仲ツ山古墳の陪塚。中山塚古墳との間の周濠で修羅が出土している。

もう一つの助太山古墳は、この古墳と中山塚古墳の3分の2の平面企画を持つようで、3古墳とも同時に築造されたと考えられる。周濠の幅は助太山古墳の北側と西側のみ10メートルで、その他の3墳を取り巻く部分では15メートル。

この古墳と中山塚古墳の間は20メートルだが、助太山古墳と中山塚古墳との間は15メートル。

濠を含めた3墳の総規模は東西195メートル、南北80メートル。一つの周濠内に3基の古墳が並んで存在していることになる。

主軸の違いから、仲ツ山古墳の陪塚ではない、との説があり、築造時期も7世紀、古墳時代終末期の可能性が指摘されている。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「八島塚古墳(やしまづかこふん)」として、方墳(50m)、NO.F16で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。

【関連サイト】
三ツ塚古墳 - Wikipedia

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