・所在地:大阪府羽曳野市誉田6丁目

・時 期:5世紀初頭
・時 代:古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
古市古墳群に属す方墳で、第十五代応神天皇の陵とされる誉田御廟山古墳の東側に近接して存在し、現在墳丘部分は「応神天皇陵古墳ろ号陪冢」として宮内庁が管理している。

誉田御廟山古墳の陪塚としては、他に墓山古墳東馬塚古墳など、また墓山古墳の5つの方墳陪塚(野中古墳向墓山古墳浄元寺山古墳、西墓山古墳、西馬塚古墳)も、その陪塚として含まれる場合がある。

昭和63年(1988年)に墳丘の西と南側の発掘調査が行われ、墳丘の規模や外部施設について多くが判明。墳丘の南西隅はすでに大きな削平を受けており、築造当初より一回り小さくなっている。もとは一辺43メートル、高さ5メートルの二段築成の方墳で、墳丘斜面には葺石(ふきいし)が葺かれていた。また外堤には、円筒埴輪列がめぐっていたことが確認された。

周溝内からは、奈良時代の土師器(はじき)や雨乞(あまごい)に使用されたと考えられる土馬、下層からは円筒埴輪や形象埴輪などが大量に発見された。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「栗塚古墳(くりづかこふん)」として、方墳(43m)、NO.F25で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。

【関連サイト】
栗塚古墳 - 羽曳野市

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