・所在地:奈良県桜井市大字倉橋
・経緯度:北緯34度49分02.78秒 東経135度86分04.26秒

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)」として第三十二代崇峻天皇の陵に治定されている。円墳。古事記には「倉椅岡上にあり」とある。

倉梯柴垣宮の旧地と伝えられてきた小字「天皇屋敷」(桜井市倉橋)に位置する。同地に、崇峻天皇の位牌を祀る金福寺があったことから、陵地として決定したという。

1876年(明治9年)、奈良県十市郡倉橋村にあった雀塚と呼ばれる古墳が一旦崇峻天皇陵として治定されたが、1889年(明治22年)に現在の陵に改定された。

ただし、根拠には乏しく、近年では、桜井市倉橋にある巨大方墳、赤坂天王山古墳を崇峻陵とする見解が有力視されている。6世紀末から7世紀初頭に築造された方墳で、東西46メートル、南北42メートル、高さ約9メートル、全長17メートルの横穴式石室を持つ。

また、斑鳩町法隆寺にある藤ノ木古墳の被葬者を崇峻天皇とする説もある。

崇峻天皇は、父が第二十九代欽明天皇、甥っ子にウマヤド、つまり聖徳太子がいる。暗殺された天皇で、公式に記録される中では、第二十代安康天皇に続いて二人目であり、最後。

なお、父・欽明天皇の陵は梅山古墳(奈良県・明日香村)に、甥っ子のウマヤドの墓は叡福寺北古墳(大阪府・太子町)に、それぞれ治定されている。また、暗殺の黒幕とされる蘇我馬子の墓は石舞台古墳(奈良県・明日香村)が有力視されている。

天皇家の系譜も参照。

【関連サイト】
崇峻天皇 - Wikipedia