・所在地:奈良県奈良市宝来町古城
・経緯度:北緯34度68分34.88秒 東経135度76分95.06秒

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「菅原伏見西陵」として、第二十代安康天皇の陵墓に治定されている。1辺50メートルほどの方墳とされる。名前からしても分かる通り、古城古墳群に属する。

第十一代垂仁天皇の陵とされる宝来山古墳から西へ2キロほどのところに位置する。墳丘ではない、中世の城郭跡との指摘もある。治定陵のため、学術調査はできない。

安康天皇は、第十九代允恭天皇の皇子。長兄のカルミコが同母妹のカルノに恋をし、禁断の同母兄妹による近親相姦に走ったため、これを糾弾・逮捕、カルミコの皇太子の地位を廃し、自ら即位。

讒言によってオオクサカ(第十六代仁徳天皇の皇子)を処刑、その未亡人であり、実の姉であるナガタノを後宮に容れ、後に皇后にする。自身で追放した長兄と同じように、同母姉弟による近親相姦に走るも、ナガタノの連れ子でオオクサカの遺児マヨワ(七歳)に暗殺される。

史上でも公式には二人しかいない、暗殺された天皇の一人。

なお、父の允恭天皇の陵は市ノ山古墳(大阪府・藤井寺市)に治定され、これとは別に津堂城山古墳(大阪府・藤井寺市)が「藤井寺陵墓参考地」として治定されている。

また、マヨワは、ジヲウ古墳(奈良県・吉野郡)に、クロヒコ(安康天皇の弟で、安康天皇暗殺事件のどさくさに惨殺された皇子)、ツブラオホミ(暗殺成功後、マヨワが身を寄せた臣下)とともに合葬されている、という。

さらに、自身が暗殺された後、その跡を継いだ、実弟の第二十一代雄略天皇の陵は、隣接する円墳の島泉丸山古墳、方墳の島泉平塚古墳(大阪府・羽曳野市)に治定され、これとは別に河内大塚山古墳(大阪府・松原市)が「大塚陵墓参考地」として治定されている。

天皇家の系譜も参照。

【関連サイト】
2011.01.08 古城1号墳(安康天皇菅原伏見西陵)