・所在地:大阪府泉南郡岬町淡輪

・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「宇度墓(うどのはか)」として第十一代垂仁天皇の皇子・五十瓊敷入彦命(イニシキイリビコ)の墓に治定されている。

大阪府の最南端に位置して大阪湾に面した地に造られており、800メートルほど西にある西陵古墳(国の史跡、墳丘長210メートル)、両古墳の中間にある西小山古墳(円墳)などと共に、淡輪古墳群を形成している。

5世紀後半の築造と考えられる前方後円墳。西陵古墳に続いて造成されたと思われる。全長170メートル、後円部の直径110メートルと大規模。

くびれ部分には造り出しがあり、水をたたえた周濠で囲まれている。また、後円部を取り囲むようにして陪塚が7基(現存6基)ある。

須恵質の円筒埴輪、家・盾・キヌガサ・鳥などの埴輪が出土しているという。

イニシキイリビコは、垂仁天皇の後の皇后であるヒバスヒメの子。実弟に第十二代景行天皇、実妹にヤマトヒメがいる。異母兄弟は、イコバヤワケイワツクワケなど多数。

古事記にも「鳥取の河上の宮に行き、大刀一千振りを制作して、石上神宮に納める。石上神宮に行き、河上部を定める」などと記載されるように、石上神宮や刀剣との関係が深い皇子。

なお、父である垂仁天皇の陵は宝来山古墳(奈良県・奈良市)に、母ヒバスヒメの陵は佐紀陵山古墳(奈良県・奈良市)に、実弟の景行天皇の陵は渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に、実妹のヤマトヒメの墓は尾上御陵(三重県・伊勢市)に、異母兄弟のイコバヤワケの墓は西法華寺古墳に、イワツクワケの墓は羽咋御陵山古墳(石川県・羽咋市)に、それぞれ治定されている。
淡輪ニサンザイ古墳 - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
淡輪ニサンザイ古墳 - Wikipedia

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