・所在地:群馬県太田市内ケ島町1606-1他

古墳ランキング > 27位 

・時 期:5世紀中頃
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
墳丘長は約210メートルで、東日本最大、全国でも27位。大阪、奈良、京都を除けば、岡山の二古墳(造山古墳(岡山市)と作山古墳(総社市))に次いで第3位。5世紀中ごろから後半にかけて、古墳時代中期から後期の築造と推定される前方後円墳。天神山古墳として国の史跡に指定されている。

周濠を含む古墳の領域は、長さ約364メートル、幅約288メートル、前方部前面幅265メートル。墳丘は前方部が二段築成、後円部が三段築成で、渡良瀬川水系の川原石を用いた葺石をともない、周囲には二重の周濠を有する。

埴輪は、墳頂部、下段、上段の平坦部に配列されていたと推測されている。さらに、器財埴輪や家形埴輪の存在も推測されている。

主体部分である被葬者の埋葬施設は、後円部東南側に凝灰岩製の長持形石棺の底石が露出しており、盗掘された痕跡がある。5世紀の畿内地方の大古墳にも採用されているものと変わらない。

「天神山」の名は、後円部の上に古くは天神様を祭る天満宮の社があり、これに由来する。 別称「男体山古墳」。東方に隣接して女体山古墳(帆立貝形古墳、全長106メートル、国の史跡)がある。

被葬者は畿内大和政権と強いつながりを持っていた毛野(けぬ)国の大首長などが考えられている。
太田天神山古墳(群馬県・太田市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
太田天神山古墳 - Wikipedia