・所在地:大阪府羽曳野市白鳥3丁目

古墳ランキング > 22位 

・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
宮内庁により第十五代応神天皇の陵の「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」、つまり誉田御廟山古墳の陪塚に治定されている。

古市古墳群に属し、そのほぼ中央、誉田御廟山古墳の南西に位置する。全長約225メートル、後円部径約135メートル、高さ約20.7メートル、前方部幅約153メートル、高さ19.3mメートル、古市古墳群では5番目、全国では22位。古市墓山古墳などとも呼ぶ。

墳丘は三段築成で、葺石と埴輪が確認される。くびれ部の両側には造り出しがあり、周囲に幅約15メートルの濠と幅約37メートルの堤をめぐらしている。

後円部頂には亀甲紋を陰刻した竜山石製の長持形石棺の蓋石が露出していたことが報告され、周辺から出土したと伝えられる滑石製勾玉や形象埴輪が宮内庁に保管されている。

周囲には陪墳と見られる5つの方墳(野中古墳向墓山古墳浄元寺山古墳、西墓山古墳、西馬塚古墳)がある。このうち現在は消滅した1辺18メートルの方墳である西墓山古墳の跡からは、調査で大量の鉄器(刀剣200点、農耕具2000点以上)が出土した。人体の埋葬施設は確認できず、副葬品のための陪塚とみられている。

誉田御廟山古墳の陪塚としては、他に栗塚古墳東馬塚古墳などがある。

Wikipediaには、2014年11月現在、「西馬塚古墳は『古事記』に登場する、自分の馬と交換してもらった馬が翌日埴輪の馬になっていたという話の舞台とされる」という記述があるが、このような話は古事記には存在していない。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「墓山古墳(はかやまこふん)」として、前方後円墳(225m)、NO.F31で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
墓山古墳(大阪府・羽曳野市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
墓山古墳 -Wikipedia

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