・所在地:大阪府羽曳野市西浦6-2-12

・時 期:6世紀前半
・時 代:古墳時代後期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)」として第二十二代清寧天皇の陵に治定されている。古事記には陵の記載がない。また、陪塚として、宮内庁が小白髪山古墳を「河内坂門原陵陪塚」として陵墓参考地に治定している。

古市古墳群の南西端に位置する6世紀前半に築造されたと考えられる前方後円墳で、「清寧天皇陵」とも呼ばれる。墳丘長115メートル、前方部幅128メートル・高さ11メートル、後円部径63メートル・高さ10.5メートル。前方部の幅が後円部の幅の約2倍あり、前方部が大きいのが特徴。

古墳名は、清寧天皇が生まれながらの白髪で、古事記において白髪大倭根子命(しらがのおおやまとねこのみこと)と表記されていることにちなむ。

清寧天皇は、第二十一代雄略天皇の子。皇后や妃などはおらず、子もない。そのため、崩御後、第十七代履中天皇の皇女イイトヨノイラツメが執政する。天皇家の系譜も参照。

父の雄略天皇の陵は、隣接する円墳の島泉丸山古墳、方墳の島泉平塚古墳(大阪府・羽曳野市)に治定され、これとは別に河内大塚山古墳(大阪府・松原市)が「大塚陵墓参考地」として治定されている。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「清寧天皇陵古墳(せいねいてんのうりょうこふん)」として、前方後円墳(115m)、NO.F41で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける古市古墳群のリストも参照。
白髪山古墳(大阪府・羽曳野市)
【関連サイト】
白髪山古墳 - Wikipedia

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