・所在地:大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町

・時 期:5世紀後半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)」として第十八代反正天皇の陵に治定されている。古事記には「毛受野(もずの)」にあり、とある。

百舌鳥古墳群に属し、その北端に位置する前方後円墳で、全長約148メートル、後円部径約76メートル、高さ約14メートル、前方部幅約110メートル、高さ約15メートルで、百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさ。墳丘の形態や出土した埴輪より、5世紀後半ごろに造築されたと考えられている。

陪塚として、鈴山古墳天王古墳などがある。

天皇陵に比定されている百舌鳥耳原三陵のなかで、他の2つの古墳、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)と比べて規模がかなり小さいことから、反正天皇陵であることを疑問視する意見も多く、土師ニサンザイ古墳を反正天皇陵とする説もある。

土師ニサンザイ古墳は反正天皇を被葬者候補とした「東百舌鳥陵墓参考地」として治定されている。

反正天皇は、第十六代仁徳天皇が父で、兄に第十七代履中天皇、弟に第十九代允恭天皇がいる。

巨人かっ、と思えるほどの長身として描かれ、歯並びもよく、容姿端麗、とも明記され、公式記録に残る日本最古のイケメン天皇。兄である履中天皇に反逆した別の兄弟を、履中天皇に唆される形で討伐を命じられ、あくどい方法で討伐する説話が古事記には収録されている。

なお、父の仁徳天皇の陵は上述の通り、母のイワノの陵はヒシアゲ古墳(奈良県・奈良市)に、これとは別に陵墓参考地としてコナベ古墳(奈良県・奈良市)に、兄の履中天皇についても上述の通りだが、弟の允恭天皇の陵は市ノ山古墳(大阪府・藤井寺市)に、それぞれ治定されている。天皇家の系譜も参照。

世界遺産への登録を進めている百舌鳥・古市古墳群のリストにおいて、「反正天皇陵古墳(はんぜいてんのうりょうこふん)」として、前方後円墳(148m)、NO.M1で設定されている。百舌鳥・古市古墳群のリストにおける百舌鳥古墳群のリストも参照。
田出井山古墳(大阪府・堺市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
【関連サイト】
田出井山古墳 - Wikipedia

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