・所在地:奈良県橿原市西池尻町410
・経緯度:北緯34度48分88.98秒 東経135度78分37.68秒

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:山形墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまさごのたにのえのみささぎ)」として第四代懿徳天皇の陵に治定されている。古事記には陵が「畝火山の真名子(うねびやまのまなご)谷の上」にあると記述されている。

「繊沙(まさご)」は「真名子(まなご)」、畝傍山の南麓に「まなご谷」と呼ぶ地があり、これを最大の理由として治定された。

頂部には丸山古墳と称する小円墳があったようで、一時神武天皇陵ではないかとの指摘があった。神武天皇陵は現在、四条ミサンザイ古墳(奈良県・橿原市)を「畝傍山東北陵」として治定されている。

自然の丘陵を利用して立地し、両側の谷を取り込み、丘高は約16メートル。東側の谷をマナゴ谷、西側の丘陵をマナゴ山と通称する。元治元年(1864年)に修補され、生垣を前方後円の形に巡らせたために、前方後円墳と誤認される場合がある。また、橿原市畝傍町のイトクノモリ古墳はその名から懿徳陵とされることもあったが、一説に皇后フトマカワヒメの陵だともいわれる。

懿徳天皇は第三代安寧天皇の皇子。祖父が二代綏靖天皇、曽祖父が初代神武天皇となる。子に第五代孝昭天皇などがいる。事績が伝わらず、実在を疑う欠史八代の一人となることがある。

なお被葬者とされる懿徳天皇の父・第三代安寧天皇の陵はアネイ山古墳(奈良県・橿原市)に、子の第五代孝昭天皇の陵は博多山古墳(奈良県・御所市)に治定されている。

関係は、天皇家の系譜に詳しい。

【関連サイト】
第4代 懿徳天皇(いとく)