・所在地:奈良県橿原市四条町211

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「畝傍山東北陵」として初代神武天皇の陵に治定されている。古事記には「畝傍山の北の方の白檮(かし)の尾の上」と神武天皇の陵に関する記述がある。宮中の四方拝で遥拝される陵の一つ。

畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接する。周囲は約100メートル、高さ5.5メートルの広い植え込みがあり、幅約16メートルの周濠をめぐらせている。領域としては、東西500メートル、南北約400メートルと極めて広大。

元禄時代に歴代の天皇の墓を決めて修理する事業が行われ、その時に神武天皇陵に治定されたのは、四条塚山古墳(現在は第2代綏靖天皇陵「桃花鳥田丘上陵」に治定されている)だった。

しかし、ここからでは畝傍山からいかにも遠く、山の上ではなく平地にあるので、福塚よりも畝傍山に少し近い「ミサンザイ」あるいは「ジブデン(神武田)」というところにある小さな塚、つまり現在のこの古墳に変更され、大規模な修復がなされた。その際、丸山古墳を神武天皇陵として有力視する説もあったという。

四条塚山古墳とともに四条古墳群に属する。この古墳群の多くは藤原京造営の際に破壊されたようだが、この四条ミサンザイ古墳と、四条塚山古墳は藤原京の京域からはずれたため、破壊を免れたという。

なお被葬者とされる神武天皇の父ウガヤフキアエズの陵は吾平山上陵古墳(鹿児島県鹿屋市)に、子の第二代綏靖天皇の陵は上記のように四条塚山古墳に治定されている。