・所在地:奈良県奈良市法蓮町1921-35
・経緯度:北緯34度69分98.45秒 東経135度81分55.39秒

・時 期:-
・時 代:-
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により第十五代応神天皇の皇子・大山守命の墓「那羅山墓」に治定されている。

この古墳についてはほとんど情報はないが、規模は全長10メートルほどの円墳とされ、佐紀盾列古墳群に属すると言われる。

大山守命は、応神天皇の崩御後、応神天皇の皇太子・和紀郎子に対して反逆し、別の皇子・大雀命によって反逆を知った和紀郎子の騙し討ちにあい、宇治川に散る。

和紀郎子の計らいによって、遺骸が宇治川から引き揚げられ、丁重に埋葬された、と古事記にある。それを宮内庁ではここに比定している。

反逆者が丁重に葬られるというのは世界史的にも稀。この話も含めて様々な説話に彩どられている和紀郎子は儒教的ともされるが、儒教にもこうした感覚はなく(父が決めた皇太子に異を唱え、あまつさえ反逆する、これは儒教最大の禁忌)、和紀郎子はあくまでも日本的、と思われる説話。

逆に言えば、よほど後ろめいたことが、和紀郎子に、というよりは、早逝した和紀郎子に代わって皇位に就いた大雀命、つまり第十六代仁徳天皇、及びそれ以降の体制側にあった、ということかもしれない。

なお、父の応神天皇の陵は誉田御廟山古墳(大阪府・羽曳野市)に、異母兄弟の仁徳天皇の陵は大仙陵古墳(大阪府・堺市)に、和紀郎子の墓は丸山古墳(京都府・宇治市)に、それぞれ治定されている。

【関連サイト】
2011.01.16 応神天皇皇子大山守命那羅山墓 - 考古学日記

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