・所在地:奈良県奈良市尼辻西町10-8

古墳ランキング > 20位
大王(オオキミ)墓候補

・時 期:5世紀前半
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「菅原伏見東陵(すがはらふしみのひがしのみささぎ)」として第十一代垂仁天皇の陵に治定されている。全長227メートル、後円部径123メートル、後円部高17.3メートル、頂上径約35メートル、前方部幅118メートル。全国第20位の規模。佐紀盾列古墳群に属する。

前方部に拝所があり、墳丘内は立ち入りはできない。垂仁天皇の臣下である、田道間守命塚(田道間守墓)、つまりタジマモリの墓が周濠の東側にある。これは、古事記にも記載のある通りの配置。

なお、父である第十代崇神天皇の陵は行燈山古墳(奈良県・天理市)に、皇后ヒバスヒメの陵は佐紀陵山古墳(奈良県・奈良市)に、子のイニシキイリビコの墓は淡輪ニサンザイ古墳(大阪府・泉南郡岬町)に、第十二代景行天皇の陵は渋谷向山古墳(奈良県・天理市)に、娘のヤマトヒメの墓は尾上御陵(三重県・伊勢市)に、イコバヤワケ西法華寺古墳(三重県・伊賀市)に、イワツクワケの墓は羽咋御陵山古墳(石川県・羽咋市)に、同母弟のヤマトヒコの墓は桝山古墳(奈良県・橿原市)に、異母兄弟のオオイリキの墓は小田中親王塚古墳(石川県・鹿島郡)に、それぞれ治定されている。

関係は、天皇家の系譜に詳しい。
宝来山古墳(奈良県・奈良市) by Googleアース - ぶっちゃけ古事記
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宝来山古墳

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