・所在地:愛知県岡崎市西本郷町和志山165-1

・時 期:-
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
古事記に記載のないイサキイリヒコの墓「五十狭城入彦皇子墓」。

イサキイリヒコは第十二代景行天皇の皇子とされる。母は、後の皇后のヤサカイリビメ。実兄には、第十三代成務天皇や、皇太子のスペアとして都にとどまったイオキイリビコがいる。また、異母兄弟には、ヤマトタケルなどがいる。

先代旧事本紀においても景行天皇皇子として五十狭城入彦の名が見え、さらに同書では五十狭城入彦が三河長谷部直の祖であるとする。

また『新撰姓氏録』では、景行天皇皇子の気入彦命(けいりひこのみこと)が第十五代応神天皇の命によって逃亡した宮室の雑使らを三河国で捕えたと見える。

この「気入彦命」の記載は記紀には無いため、五十狭城入彦と同一視する説がある。ただし、兄のイオキイリビコに比定する指摘もある。

イオキイリビコは孫娘三人が応神天皇に召されており、その中の一人は皇后となっているため、関係は深い。

古墳近くには、和志取神社(岡崎市西本郷町御立)があり、五十狭城入彦を祭神に祀るとともに、五十狭城入彦に関する由緒を伝えている。

それによれば、「五十狭城入彦皇子は気入彦命とも申し景行天皇の皇子で勅命によりこの地方の逆臣大王主等を捕えこれより国内治まり庶民大いに安堵した」という。

御墓は当町和志山にあり前方後円墳で前後三十五間面積七 百七十六坪周辺に六基の円墳即ち陪塚がある」となる。

【関連サイト】
五十狭城入彦皇子墓(和志山古墳) - 岡崎市散歩ブログ

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