新潟県胎内市による「城の山古墳」のゆるキャラ「ゆっきー」
新潟県胎内市にある前期古墳「城の山古墳」(4世紀前半)が日本海側最北の前方後円墳(全長約62メートル)であることが分かり、市教育委員会が2014年11月12日、発表しました。従来は直径約39メートルの円墳と考えられていたが、前方部が新たに確認されたようです。これにより、日本海側の北限とされていた前方後円墳の菖蒲塚古墳(新潟市西蒲区)よりも約50キロ北上しました。河北新報が報じています。画像は、新潟県胎内市による「城の山古墳」のゆるキャラ「ゆっきー」。(追記:2015年9月、継続調査の結果、前方後円墳の可能性を示す要素が否定され、「城の山古墳」が前方後円墳ではないことが発表されました) 

この城の山古墳(じょうのやまこふん)からは、龍を浮き彫りにした銅鏡(盤龍鏡)が出土していました。デザイン的に、1世紀から3世紀頃の中国(後漢、魏、晋代)にみられるもので、日本では珍しいとされます。古墳の築造年代とずれているため、中国から直接持ち込まれたものではなく(国産であったとしても)、大和朝廷を介して地域にもたらされたものと考えられています。

また、両頭金具という弓に取り付ける鉄製の金具も出土しています。以前に長野市の大星山古墳(3号墳)から出土したものを上回る年代で、日本最古のものと言います。

■城の山古墳
・新潟県胎内市
・北緯38度4分87.60秒 東経139度38分38.40秒付近(おおよその目安)

城の山古墳の場所などの情報。画像をクリックすると大きな写真で確認できます。
城の山古墳の場所
古事記においては、第十一代垂仁天皇の御世、オオタカという人が、越の国に行ったこと、和那美之水門(和那美の水門、わなみのみなと)という地名が今に伝わっていること、などから、今の新潟県魚沼地方までの記述は間違いなくたどれますが、胎内市というと、そこからゆうに東北へ100キロ以上。

もちろん古事記には描き切れていない、当時の生活があったことは間違いなく、古墳の規模にあった、比較的大規模な集落が広がっていたのは想像に難くありません。

胎内市では城の山古墳を中心に、ゆるキャラ「ゆっきー」(上の画像)なども設定して取り組んでいます。

詳しい情報はこちらから。

それによれば、2014年12月7日(日)、胎内市産業文化会館ホールで報告・公演を中心にしたシンポジウムが開かれるようです。そのチラシはこちら(PDF)。

ちなみに、最北端の前方後円墳は角塚古墳(岩手県・奥州市)、日本海側沿岸最北の古墳群は岩野山古墳群(秋田県・南秋田郡)、日本最北の古墳は江別古墳群(北海道・江別市)。

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