垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」へ、近鉄線・尼ヶ辻駅から向かう - ぶっちゃけ古事記
奈良県奈良市尼辻西町10-8

訪問日:2014年10月16日夕方

古事記でも五本の指に入る特徴的な天皇。その息吹を少しでも感じられれば。

近鉄線・尼ヶ辻駅から歩くこと五分程度、お堀と陵墓が見えてきました。垂仁天皇陵、古事記に「菅原の御立野(みたちの)の中」と記された、菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)です。

さらに進むと田道間守墓が見えてきました。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」の遠景、田道間守墓とともに - ぶっちゃけ古事記
田道間守墓をズームで撮影。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」のお堀の中にある田道間守墓 - ぶっちゃけ古事記
もう日もだいぶ落ちてきました。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」のお堀と陵墓 - ぶっちゃけ古事記
もう少し行くと、見晴らしがよくなりました。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」 - ぶっちゃけ古事記
拝所への入口に到着。宮内庁看板。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」拝所への入口 - ぶっちゃけ古事記
参道を進みながら、やはり田道間守墓の方向に向かって。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」、拝所に向かう参道からお堀、田道間守墓を望む - ぶっちゃけ古事記
かなり近接していると思っていた田道間守墓ですが、近接していない。堀が巨大すぎるための目の錯覚。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」と決して隣接していない田道間守墓 - ぶっちゃけ古事記
拝所まで間もなく。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」の拝所近くからお堀、田道間守墓を望む - ぶっちゃけ古事記
田道間守墓をズーム。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」のお堀の中にある田道間守墓をズーム - ぶっちゃけ古事記
拝所に到着。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」、拝所正面 - ぶっちゃけ古事記
拝所に近づき。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」、拝所正面の近撮 - ぶっちゃけ古事記
ちょっと遠ざかって。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」の拝所 - ぶっちゃけ古事記
参拝を済ませ、戻ります。石碑があったので、一緒に撮影。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」とその石碑、田道間守墓 - ぶっちゃけ古事記
駅の方向に戻ります。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」からの帰路、陵墓とお堀を振り返る - ぶっちゃけ古事記
宝来山古墳。全長227メートル、後円部径123メートル、後円部高さ17.3メートル、頂上径約35メートル、前方部幅118メートル。数値でも、間近で見ると巨大ですが、これでも古墳ランキングでは、日本で第20位。

第十一代垂仁天皇、父はオオモノヌシの祟りに怯え領土を拡張した第十代崇神天皇。

・皇后サオビメを、皇后の実兄サオビコにNTRされ、サオビコに反逆され、サオビメも兄に殉じる
・サオビメの忘れ形見、皇子ホムチワケが成長してもしゃべらない、やはり祟りと分かり、対応
・サオビメの後任、新たな嫁取りで、四人姉妹を娶り、そのうち2人をブサイクだとして実家に帰す
タジマモリを常世の国に派遣して、悪魔の実(橘ということが判明するが)を取りに行かせる

などの、歴代天皇の中でもとりわけ、エピソードの多い天皇です。補足すれば、皇子ホムチワケはもしかすると父はサオビコかもしれず。ブサイク2人の内、一人はマトノで、恥ずかしさのあまり自殺を図るが叶わず、しかし実家に戻る途中事故死という救われない姫となってしまいます。

崇神天皇の後を受けて、身内のごたごた(サオビコの反乱)を経て、領土拡張の続き(ホムチワケをしゃべらそうと、臣下を全国各地に回らす話が出てくる)を行い、後任皇后として有力者と改めて結び直し、タジマモリの常世の国の派遣は、遠国への外交を示唆します。積極的な天皇だったことは間違いなさそうです。

ただ、タジマモリを派遣したはいいが、タジマモリが任務を果たして帰ってくると崩御されていた。。

タジマモリは嘆き悲しみ、持ち帰った悪魔の実(橘の身と木、ですが)、半分を垂仁天皇の墓前に、もう半分をサオビメの後の皇后ヒバスヒメに献上し、垂仁天皇の墓前で亡くなった、とされます。

その伝承通り、現在、お堀の中にタジマモリのお墓(田道間守墓)がある、ということになります。

タジマモリ、あまり馴染みはないかもしれませんが、おそらくは但馬の巨大豪族の出身。というのも、古事記には異常に詳しくその系譜が記載されています。ただし、それはタジマモリ本人のため、というよりは、神功皇后のため。タジマモリの弟の子どもが神功皇后の母に当たります。

そして、神功皇后とタジマモリの系譜をさかのぼっていくと、日本人妻に逃げられて日本に追いかけてきた新羅王子の天日矛に突き当たります。古事記では、天日矛が但馬に土着し、勢力を蓄え、現地の豪族化したというニュアンスにとらえられる節があり、その中からタジマモリは出てくることになります。

そういう意味では、垂仁天皇やタジマモリの活躍は、神功皇后の登場の前哨戦、ともとらえられるわけですが、それを差し引いても、十分に興味深い説話の持ち主と言えそうです。
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