狭井神社の鳥居 - ぶっちゃけ古事記
奈良県桜井市三輪21
北緯34度53分12.28秒 東経135度85分40.48秒

訪問日:2014年10月16日午後

正式な名前は「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社」。本社の荒魂をお祀りしている古社。

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鳥居をくぐり、参道を進むと、左手に市杵嶋姫神社が見えてきました。ここにもお参り。
狭井神社の参道左手にある市杵嶋姫神社 - ぶっちゃけ古事記
狭井神社、拝殿はお屋根檜皮葺替工事中でした。

拝殿の左後ろに、この神社の由来になっている神水の井戸・狭井があります。ここから湧き出る水は昔から「薬水」と呼ばれていて、この薬水を飲めばいろいろな病気が治るとされており、この日も、病気平癒のお参りをする人が大勢いらっしゃいました。
狭井神社(拝殿はお屋根檜皮葺替工事中でした)
ご祭神は、大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)。

つまり、本社の荒魂と、オオモノヌシ、オオモノヌシの娘であるイスケヨリ、オオモノヌシの妻でイスケヨリの母であるセヤダタラヒメ、(オオモノヌシと同体とされる)オオクニヌシの長男であるコトシロヌシ、となります。

オオモノヌシが美女と名高いセヤダタラヒメに目を付け、セヤダタラヒメがうんこしている時に赤い矢に化けてトイレに忍び込み、まさにしている最中の女陰に突き刺す。トイレから出て不思議に思ったセヤダタラヒメがその赤い矢を自分の寝所にお祀りすると、イスケヨリが生まれた、という説話。

イクタマとの恋物語と並ぶ、オオモノヌシの美女ゲット談のヒロイン、それがセヤダタラヒメ。そしてその子、イスケヨリが、初代神武天皇の皇后になります。

狭井神社を後にして、山辺の道を進みます。すると、狭井川があります。
山辺の道の途中にある狭井川 - ぶっちゃけ古事記
古事記原文に、以下のようにあります。

其河謂佐韋河由者、於其河邊山由理草多在。故、取其山由理草之名、號佐韋河也。山由理草之本名云佐韋也

その河を佐韋河(さいかわ)というのは、その河の辺に山由理草(やまゆりそう)が多いため。その山由理の名を取って佐韋河と名付ける。山由理のもとの名は佐韋と言う。

ここまで川の由来を詳述しているのは、古事記では大変珍しいことで、それには訳があります。この川辺で、神武天皇とイスケヨリが愛を交わした、と古事記にもあり、その際の神武天皇の歌が古事記に収録されています。またこの近辺に実際、その歌の碑があります。

「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」というものもあり、このあたり一帯が、神武天皇と、そしてオオモノヌシの娘としてのイスケヨリと、大変ゆかりが深いことが分かります。また、神武天皇の崩御後になりますが、イスケヨリが狭井川に絡めて歌った歌を古事記は収録しています。その碑もこの近辺にあります。

この歌は、自身の新たな旦那となったタギシミミ(神武天皇の前妻の子)が反逆したために、イスケヨリが実子のカムヤイミミ 、カムヌナカワミミ(後の二代綏靖天皇)らを助けたいがための、暗号文となっている、という流れになっています。史上初めての反逆、タギシミミの反逆を鎮圧するきっかけとなります。

狭井神社から狭井川にかけては、オオモノヌシ―イスケヨリと連なり、そこに神武天皇が絡んだ、古事記が織りなす壮大なドラマの実際の舞台だと思われ、その思いを偲び歩くと感慨も一入です。
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