垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」の遠景、田道間守墓とともに - ぶっちゃけ古事記
天理駅から近鉄で尼ヶ辻駅に向かいます。急行だったので、途中、大和郡山駅で各駅停車に乗り換えて、三つ目。

尼ヶ辻駅で降りて、南に向かえば鑑真の唐招提寺もすぐ近くですが、今回は西へ。垂仁天皇陵、古事記に「菅原の御立野(みたちの)の中」と記された、菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)。宝来山古墳(奈良県・奈良市)です。

実はこの日の朝、京都から飛鳥に向かう近鉄特急に乗っている時も、尼ヶ辻駅を過ぎたあたりで、この陵墓を車窓から眺めることができました。

その時は「おおっ、あそこが目的地の一つ、垂仁天皇陵だっ」と思ったものですが、それが同じ日の午前中だったとは思えないほど、長い長い旅の末、ようやくここに戻って来た、という感じ。日はもうとっぷり暮れています。

駅からは徒歩5-10分程度でしょうか。電車の車窓からはすぐのように感じましたが、拝所に行くまでには古墳に沿ってぐるっと回らなければならないので、少し歩きます。

途中、安康天皇陵はこちら、という石碑を発見。ものすごく惹かれましたが、地図で確認すると優に2キロぐらいありそう。。ここで往復4キロはさすがに無理、というのと、安康天皇陵はいわくつきの多い歴代天皇陵の中でも特に、そもそもそれは古墳でもないのではないか、という意見もあるほどのもの。

古事記の中では唯一、史上でも(公的には)二人しかいない暗殺された天皇、安康天皇。その陵墓も、是非お参りしたいと思いつつ、時間、体力その他諸々の兼ね合いで断念。取り急ぎ、垂仁天皇陵の拝所に向かいます。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」 - ぶっちゃけ古事記
陵墓のお堀沿いを歩いていた、すぐに見えてきたのは、お堀の中で、陵墓本体の前にぽつりと浮かぶ島のようなもの。これが田道間守墓、つまりタジマモリの墓です。

古事記の垂仁天皇の最後の説話に、タジマモリを常世の国に派遣する話が出てきます。タジマモリは無事使命を果たし、帰還してみると、しかし垂仁天皇はすでに崩御されていた。。

悲嘆したタジマモリは垂仁天皇の墓前で亡くなります。つまり垂仁天皇陵の近くで没したことになり、この場所にお墓があることは、古事記のお話そのものを描いているとも言えます。

タジマモリの墓はもともと今のような島ではなく、堤防だった、それがお堀の拡張とともに島のようになった、とか、あるいはこれは墳墓ではないのではないか、などの意見もありますが、古事記の逸話に触れられた感動の前では、どうでも良いことのように思えてきました。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」拝所への入口 - ぶっちゃけ古事記
さて、これが垂仁天皇陵。というか今までの写真にも映ってはいましたが。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」 - ぶっちゃけ古事記
一般にあまり馴染みのある天皇ではないかもしれませんが、古事記の中ではもしかすると五本の指に入るほど個性的で、多くの説話を残されている方。明日以降も垂仁天皇に関する史跡も回る予定だったために、御陵をお参りでき、感慨も一入でした。
垂仁天皇陵「菅原伏見東陵」とその石碑、田道間守墓 - ぶっちゃけ古事記
お参りを済ませて戻る途中、また安康天皇陵との分岐点に差し掛かって、後ろ髪を引かれる思いもありましたが、尼ヶ辻駅に戻り、再び近鉄に乗車。大和西大寺で乗り換えて、宿泊先ホテルの最寄り駅で、翌日の、今回のメーンテーマ「大古事記展」会場の最寄り駅でもある、近鉄奈良駅に向かいました。

2014年10月16日の日程はこれにて、すべて終了です。
古事記紀行2014 > (6)垂仁天皇陵 - 菅原伏見東陵
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