意祁王(おけのみこ=仁賢天皇)縦480px
やはり弟の対比ですが、兄の冷静な状況判断を視野に入れて。ただし、これはよほどの覚悟が必要だったと思います。

意祁王(後の第二十四代仁賢天皇)が、父イチノベノオシハを第二十一代雄略天皇に惨殺され、弟である袁祁王(後の第二十三代顕宗天皇)とともに逃げ出し、ようやく播磨まで逃れてきた時、兄とともにそこの住人シジムの館に入り、馬飼、牛飼に身をやつし、隠れた際、弟がへそを曲げていたので、フォローするようにつぶやいたと思われる一言。

当時の身分制度上で、皇子が地方の国の一住人の家人に成り下がるとはよほどのことで、「人ではなくなる」ぐらいの感覚があったかも。それでも仁賢天皇、冷静に現状分析してそう。

【この一言の出典】
いとこの無礼にキレてソッコー殺っちゃった雄略天皇 逃げる二人の御子

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18.雄略天皇 - ぶっちゃけ古事記のカテゴリ

顕宗天皇「馬飼、牛飼かよっ」

【関連キャラ】
仁賢天皇 - 引っ込み思案も冷静な頭脳で弟の汚名を救う
顕宗天皇 - 父の復讐に燃え、雄略陵破壊を目論む激情家

【古事記の神・人辞典】
仁賢天皇