山形県鶴岡市添川で発掘調査が進む円墳・鷺畑山古墳1号の謎が深まっているそうです。2014年5月末から6月にかけて行われた第2次発掘調査で、頂上周辺に土を何層も重ねて固めた「版築(はんちく)」が改めて確認され、内部主体(棺)が埋まっている可能性が高い、とのことです。毎日新聞が報じています

鷺畑山古墳(さぎはたやまこふん)は日本海側最北限の古墳として期待されています。出羽丘陵と庄内平野の境界に位置し、1998年ごろから東田川文化記念館郷土研究サークルが調査しています。これまで古墳とみられる墳丘4基が見つかっています。

1号は直径約23メートル、高さ約3メートルの円墳とみられ、東側には方墳のような小さな墳丘も連なっているようです。3-4世紀、古墳時代前期の築造と考えられているようです。

毎日新聞の報道によれば、発掘調査会の川崎会長(県立うきたむ風土記の丘考古資料館名誉館長)は「赤川より東を支配した首長の墓で、守護霊として大事に保管されてきたのではないか。墳丘を伴って現存する庄内唯一の古墳だ」と述べたといいます。

古事記で描かれている世界の北限は、会津でしょうか。

第十代崇神天皇が北陸に派遣したオオビコと、東海地方に派遣したオオビコの子であるタケヌナカワワケが、それぞれ軍を率いて合流したところが相津(あいづ)、今の福島県の会津です。

もちろん、同時代、あるいはそれより前から、会津以北にも輝かしい文化圏があったことは想像に難くありません。それを明らかにするためにも、鷺畑山古墳のさらなる発掘と研究の進展を願います。