三重県桑名市志知の北山C遺跡から、古墳時代中期の5世紀に築造されたとみられる方墳24基と円墳1基が見つかったとのことです。MSN産経ニュースが報じています。

北山C遺跡は、弥生時代から古墳時代の集落跡と考えられていましたが、今回の発見で、遺跡の古墳は45基となり、北勢地域の同時期の遺跡では鈴鹿市の石薬師東古墳群の64基に次ぐ古墳群となったようです。

8月31日には現地説明会が開催されました。詳しくはこちらから。

それによれば、さらに古墳の周りから、土壙墓(どこうぼ:穴を掘っただけの墓)・木棺墓(もっかんぼ)が16基見つかり、お墓の中から勾玉(まがたま)や砥石(といし)、鉄製の鎌・刀子などが出土したとのことです。

古事記において、桑名といえば、ヤマトタケル尾津岬の一本松の歌を歌った場所として知られています。伊吹山の神退治に失敗し、瀕死の重傷を負って敗走。能煩野(現 三重県亀山市)で非業の死を遂げることになりますが、その間の出来事です。

そもそも三重という地名は、この敗走時に、ヤマトタケルが、足が三重に曲がってしまうほど疲れた、痛い、と言ったことが由来とか。

脈々と続く歴史の中での今回の発見。尾張、伊勢周辺は歴史の宝庫ですので、今後の展開に注目です。