袁祁王(をけのみこ、後の第23代顕宗天皇)

袁祁命、袁祁之石巣別命とも。ヲケノミコ。

『古事記』に記載のある男性皇族。

父は、第17代履中天皇の皇子イチノベノオシハだが、第21代雄略天皇によって惨殺される。

雄略天皇の魔手から逃れるため、兄・意祁王(後の第24代仁賢天皇)とともに父惨殺現場から逃れる。逃げて山城まで来た時、食糧泥棒・ヤマシロノブタカイに遭遇。さらに逃れて、淀川の渡し場の玖須婆を渡り、播磨の国に達する。そこの住人シジムの館に入り、馬飼、牛飼に身をやつし、隠れた。

播磨の長官・山部連小楯がシジムの館の新築祝いに来た時、その宴会で、皆が歌い踊り出したが、かまどの傍らにいた二人の子どもにも踊り歌わせようとした。この二人の子こそ意祁王と袁祁王の兄弟で、「兄者から、どぞ」、「いやいや弟のオマエから」と譲り合って、そのやり取りも参加者の爆笑を誘う。

兄が歌い踊り終わり、弟が踊った時、「オレたちの親父は~、履中天皇の皇子であるイチノベノオシハだぞ~」と歌ったものだから、一座は驚きに包まれ、山部連小楯は床にひざまずき、他の人を退出させ、二人の子らを膝にのせて嘆き悲しみ、仮宮を造って、都に使者を走らせた。

第22代清寧天皇の後、世継ぎがいなかったためにイチノベノオシハの妹に当たるイイトヨノイラツメが政を見ていたが、この知らせを聞き、自分の甥っこであり、皇位継承者が見つかって大喜び。すぐに都に召し上げた。

都に上ると、結婚しようとしていたオウオという娘を臣下の志毘臣に奪われそうになり、歌垣で舌戦を繰り広げる。

歌垣後、兄の意祁王とともに、志毘臣の館を急襲、これを滅ぼす。

皇位継承について、兄の意祁王と譲り合うが、兄から「播磨にいた時、オマエの歌で都に返り咲けたから、オマエが皇位に就け」と言われて即位。

第23代天皇(天皇家の系譜)。

皇居は近飛鳥宮。伝承地は、奈良県高市郡明日香村八釣。

ナニワと結婚するも、子はない。

雄略天皇に惨殺され、遺骸をうめられてしまった父・イチノベノオシハの遺骨を求めたところ、近江の賤しい媼がその場所を知っていたために、これを召して、父の遺骨を掘り起こし、蚊屋野の東の山に御陵を設け、この惨殺事件の遠因を作ってしまったカラフクロの子らに守をさせた。

この媼に名前を賜り、置目老媼とした。皇居の近くに家を建ててそこに住まわせ、皇居に毎日のように召し入れ、戸に鈴をかけて召す時はその鈴を毎回鳴らして、これを厚くお恵みになった。置目老媼が高齢を理由にお暇を告げる時も、これを大変悲しむ歌を歌う。

父・イチノベノオシハが惨殺された後の逃走において、食料を強奪したヤマシロノブタカイを探し出して、飛鳥河の河原で斬首した。その一族も膝の筋を斬る罰を処した。

父親を惨殺した雄略天皇をも深く恨み、その御陵の破壊を計画。兄の意祁王が、「他の人を遣わしてはダメ。その役はオレが行く」と言って、兄に任せた。意祁王は雄略天皇陵のそばを少し掘って復命してきた。あまりにも早く帰ってきた兄を訝しみ、「どのように破壊しました?」と問うたところ、「少し穴を掘って来た」との回答。

「父上の仇を報じるのであれば、御陵はことごとく破壊するべきではないですか」と聞くと、兄は「雄略天皇は父上の仇ではあるけど、我々の伯父であり、元天皇だから、その御陵を破壊しつくしてしまえば、後世の誹りは免れない」と回答。「それは道理」と納得する。

帝位に就いてから八年、38歳で崩御。御陵は片岡之石坏岡上(かたおかのいわつきのおかのうえ)にあり。宮内庁により、傍丘磐坏丘南陵古墳(奈良県・香芝市)が「傍丘磐坏丘南陵」として治定されている。

これとは別に、築山古墳(奈良県・大和高田市)が「磐園陵墓参考地」として治定されている。全国第27位の大きさの古墳(古墳ランキング)。

古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇

【主な登場場面】
いとこの無礼にキレてソッコー殺っちゃった雄略天皇 逃げる二人の御子
皇統断絶の危機 播磨国に逃れていた“あの二人の御子”が発見された経緯とは
女にちょっかい出された皇子がキレる 横柄な家臣を急襲して滅亡させる
因果応報を実行する顕宗天皇 窮地での弁当強奪犯を死刑にし、その一族にも処罰
オヤジの敵だけど元天皇の墓を破壊しようとする顕宗天皇 止めたのは賢兄の機転

【収録歌】
顕宗天皇、親父が殺され逃げていた播磨から戻るきっかけとなった歌
顕宗天皇、歌垣で志毘臣の嫌がらせに対して返した歌
顕宗天皇、歌垣で志毘臣の無礼を鋭く突いた歌
顕宗天皇、歌垣で志毘臣の無礼を言葉遊び含めていなした歌
顕宗天皇、大恩ある媼を毎日召していた時に歌った歌
顕宗天皇、大恩ある媼が故郷に帰る時に別れを惜しんで手向けた歌

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御坂神社(志染町) - 『播磨国風土記』記載、履中天皇の地名譚、5月屋台と2月御弓祭
八雲社(三木市) - 億計・弘計2皇子、秀吉ゆかり、境内に式内論社? 10月に屋台

【顕宗天皇を祀る神社】
堅田神社(繁田) - 鎌倉末期に堅田を勧請した繁田神社、10月例祭に獅子舞と信仰
麓神社 - 籠神社の東に位置、雄略天皇に父を謀殺された二人の皇子を奉斎
木積神社(京丹後市) - 当地に隠れ住んだ計命・弘計命の二皇孫を祀る式内論社
須津彦神社 - 孫の二皇子が履中天皇・皇后を奉斎した真鈴宮、4月祭礼で太刀振り

【年】
第23代顕宗天皇元年 - 西暦485年。丑(うし)年、干支は乙丑
第23代顕宗天皇2年 - 西暦486年。寅(とら)年、干支は丙寅
第23代顕宗天皇3年 - 西暦487年。卯(う)年、干支は丁卯

【関連キャラ】
顕宗天皇 - 父の復讐に燃え、雄略陵破壊を目論む激情家
第23代顕宗天皇