伊玖米入日子伊沙知命(いくめいりびこいさちのみこと)

イクメイリビコイサチ。『古事記』に記載のある男性皇族。

父は第10代崇神天皇、母はその皇后であるミマキヒメ。第一子。

同母弟妹に、イザノマワカクニカタヒメチチツクヤマトヒメイカヒメヤマトヒコがいる。

第11代天皇(天皇家の系譜)。

皇居は師木玉垣宮。伝承地は奈良県桜井市穴師周辺。

皇后は当初サオビメで、ホムチワケをもうける。サオビメの兄は、第9代開化天皇の孫にあたるサオビコ

サオビメ亡き後に皇后に立てられたのが、ヒバスヒメイニシキイリビコ、第12代景行天皇オオナカツヒコヤマトヒメワカキニイリヒコをもうける。

妃の一人はヒバスヒメの妹であるヌバタニイリヒメで、ヌテシワケイカタラシヒコをもうける。

妃の一人は、ヒバスヒメ、ヌバタニイリヒメの妹であるアザミニイリビメで、イコバヤワケアザミツヒメをもうける。

妃の一人であるカグヤヒメとの間に、アナベノミコをもうける。

妃の一人であるカリハタトベとの間に、オオチワケイカタラシヒコイトシワケをもうける。

妃の一人はカリハタトベの妹であるカニハタトベで、イワツクワケイワツクビメをもうける。

皇后サオビメをサオビメの実の兄で、自身の義兄に当たるサオビコにNTRされる。しかも、サオビコに教唆され、皇后に暗殺されかける。暗殺は未遂に終わったものの、サオビコの反逆の意図を察して、討伐軍を編成、サオビコを攻めたてる。

皇后サオビメに捨てられ、サオビメは兄サオビコの籠城先に駆け込む。

サオビメが籠城先で出産したからその子を引き取ってというお願いに首肯し、その子ホムチワケの引き渡しの際に、サオビメも籠城先から連れ出してしまおうと画策するが、失敗。

サオビメに子供のことや今後のことを問いただしたうえで、サオビコ含めて責め立てて、二人を誅する。

遺児ホムチワケの養育に当たるも、この子が成長してもしゃべらないことが判明。オオタカに全国各地、白鳥を捕獲させようと飛び回らさせたり、あの手この手を使って、何とかしゃべらそうとするが、結局出雲の神様(=オオクニヌシ)の祟りと判明。アケタツウナガミを補佐に、ホムチワケ自身を出雲に行かせ、祀らせる。

改めて立后。ヒコタタスミチノウシの娘の四姉妹を一気に娶る。そのうちの長姉が皇后となるヒバスヒメ。そのすぐ下の妹のオトヒメとともに二人だけをとどめ、後の二人であるウタゴリヒメマトノヒメはブサイクだったので実家に帰す。

そのうち、マトノは姉妹と容姿を比べられた上で捨てられたために傷心。実家に帰る途中自殺を図るが、幸か不幸か未遂に終わる。しかし、その後の実家に戻ろうとする道中で事故死。

ヒバスヒメが皇后となった時、石棺作りを定め、また土師部(はにしべ)を定める。

タジマモリを常世の国に派遣。フシギの木の実を求めさせる。タジマモリが帰ってみると、崩御していた。タジマモリは墓前で死亡。

153歳で崩御、御陵は菅原の御立野(みたちの)の中にある。宮内庁では宝来山古墳(奈良県・奈良市)を「菅原伏見東陵」として治定している。全国第20位の大きさの古墳(古墳ランキング)。周濠の中にはタジマモリの墓もある。

古事記の中の歴代天皇
・初代神武天皇 - 第2代綏靖天皇 - 第3代安寧天皇 - 第4代懿徳天皇 - 第5代孝昭天皇 - 第6代孝安天皇 - 第7代孝霊天皇 - 第8代孝元天皇 - 第9代開化天皇 - 第10代崇神天皇 - 第11代垂仁天皇 - 第12代景行天皇 - 第13代成務天皇 - 第14代仲哀天皇 - 第15代応神天皇 - 第16代仁徳天皇 - 第17代履中天皇 - 第18代反正天皇 - 第19代允恭天皇 - 第20代安康天皇 - 第21代雄略天皇 - 第22代清寧天皇 - 第23代顕宗天皇 - 第24代仁賢天皇 - 第25代武烈天皇 - 第26代継体天皇 - 第27代安閑天皇 - 第28代宣化天皇 - 第29代欽明天皇 - 第30代敏達天皇 - 第31代用明天皇 - 第32代崇峻天皇 - 第33代推古天皇 - 第三十四代舒明天皇

【主な登場場面】
オオモノヌシに祟られて急いで慰霊する崇神天皇 そもそもオオモノヌシって…
四道将軍を派遣しようとして反乱に気付いた崇神天皇「伯父さん、討伐してちょ」
義兄に皇后を寝取られた垂仁天皇、反逆され討伐するも子どもは「育てます!」
しゃべらない皇子に何とか口を開かせようと四苦八苦の垂仁天皇 イミフの出雲説話
4人姉妹まとめて嫁取りの垂仁天皇「ブサイク2人、実家に帰って」で傷つく女心
常世の国にフシギの木の実を求めさせたのに、帰ってくると亡くなっていた垂仁天皇

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【垂仁天皇を祀る神社】
倉賀野神社 - 崇神朝の創祀のクニタマさま、「飯玉縁起」飯玉大明神、飯玉さま

【年】
第11代垂仁天皇元年 - 西暦紀元前29年。辰(たつ)年、干支は壬辰
第11代垂仁天皇2年 - 西暦紀元前28年。巳(み)年、干支は癸巳
第11代垂仁天皇3年 - 西暦紀元前27年。午(うま)年、干支は甲午
第11代垂仁天皇4年 - 西暦紀元前26年。未(ひつじ)年、干支は乙未
第11代垂仁天皇5年 - 西暦紀元前25年。申(さる)年、干支は丙申
第11代垂仁天皇6年 - 西暦紀元前24年。酉(とり)年、干支は丁酉
第11代垂仁天皇7年 - 西暦紀元前23年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
第11代垂仁天皇8年 - 西暦紀元前22年。亥(い)年、干支は己亥
第11代垂仁天皇9年 - 西暦紀元前21年。子(ね)年、干支は庚子
第11代垂仁天皇10年 - 西暦紀元前20年。丑(うし)年、干支は辛丑
第11代垂仁天皇11年 - 西暦紀元前19年。寅(とら)年、干支は壬寅
第11代垂仁天皇12年 - 西暦紀元前18年。卯(う)年、干支は癸卯
第11代垂仁天皇13年 - 西暦紀元前17年。辰(たつ)年、干支は甲辰
第11代垂仁天皇14年 - 西暦紀元前16年。巳(み)年、干支は乙巳
第11代垂仁天皇15年 - 西暦紀元前15年。午(うま)年、干支は丙午
第11代垂仁天皇16年 - 西暦紀元前14年。未(ひつじ)年、干支は丁未
第11代垂仁天皇17年 - 西暦紀元前13年。申(さる)年、干支は戊申
第11代垂仁天皇18年 - 西暦紀元前12年。酉(とり)年、干支は己酉
第11代垂仁天皇19年 - 西暦紀元前11年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
第11代垂仁天皇20年 - 西暦紀元前10年。亥(い)年、干支は辛亥
第11代垂仁天皇21年 - 西暦紀元前9年。子(ね)年、干支は壬子
第11代垂仁天皇22年 - 西暦紀元前8年。丑(うし)年、干支は癸丑
第11代垂仁天皇23年 - 西暦紀元前7年。寅(とら)年、干支は甲寅
第11代垂仁天皇24年 - 西暦紀元前6年。卯(う)年、干支は乙卯
第11代垂仁天皇25年 - 西暦紀元前5年。辰(たつ)年、干支は丙辰
第11代垂仁天皇26年 - 西暦紀元前4年。巳(み)年、干支は丁巳
第11代垂仁天皇27年 - 西暦紀元前3年。午(うま)年、干支は戊午
第11代垂仁天皇28年 - 西暦紀元前2年。未(ひつじ)年、干支は己未
第11代垂仁天皇29年 - 西暦紀元前1年。申(さる)年、干支は庚申
第11代垂仁天皇30年 - 西暦1年。酉(とり)年、干支は辛酉
第11代垂仁天皇31年 - 西暦2年。戌(いぬ)年、干支は壬戌
第11代垂仁天皇32年 - 西暦3年。亥(い)年、干支は癸亥
第11代垂仁天皇33年 - 西暦4年。子(ね)年、干支は甲子
第11代垂仁天皇34年 - 西暦5年。丑(うし)年、干支は乙丑
第11代垂仁天皇35年 - 西暦6年。寅(とら)年、干支は丙寅
第11代垂仁天皇36年 - 西暦7年。卯(う)年、干支は丁卯
第11代垂仁天皇37年 - 西暦8年。辰(たつ)年、干支は戊辰
第11代垂仁天皇38年 - 西暦9年。巳(み)年、干支は己巳
第11代垂仁天皇39年 - 西暦10年。午(うま)年、干支は庚午
第11代垂仁天皇40年 - 西暦11年。未(ひつじ)年、干支は辛未
第11代垂仁天皇41年 - 西暦12年。申(さる)年、干支は壬申
第11代垂仁天皇42年 - 西暦13年。酉(とり)年、干支は癸酉
第11代垂仁天皇43年 - 西暦14年。戌(いぬ)年、干支は甲戌
第11代垂仁天皇44年 - 西暦15年。亥(い)年、干支は乙亥
第11代垂仁天皇45年 - 西暦16年。子(ね)年、干支は丙子
第11代垂仁天皇46年 - 西暦17年。丑(うし)年、干支は丁丑
第11代垂仁天皇47年 - 西暦18年。寅(とら)年、干支は戊寅
第11代垂仁天皇48年 - 西暦19年。卯(う)年、干支は己卯
第11代垂仁天皇49年 - 西暦20年。辰(たつ)年、干支は庚辰
第11代垂仁天皇50年 - 西暦21年。巳(み)年、干支は辛巳
第11代垂仁天皇51年 - 西暦22年。午(うま)年、干支は壬午
第11代垂仁天皇52年 - 西暦23年。未(ひつじ)年、干支は癸未
第11代垂仁天皇53年 - 西暦24年。申(さる)年、干支は甲申
第11代垂仁天皇54年 - 西暦25年。酉(とり)年、干支は乙酉
第11代垂仁天皇55年 - 西暦26年。戌(いぬ)年、干支は丙戌
第11代垂仁天皇56年 - 西暦27年。亥(い)年、干支は丁亥
第11代垂仁天皇57年 - 西暦28年。子(ね)年、干支は戊子
第11代垂仁天皇58年 - 西暦29年。丑(うし)年、干支は己丑
第11代垂仁天皇59年 - 西暦30年。寅(とら)年、干支は庚寅
第11代垂仁天皇60年 - 西暦31年。卯(う)年、干支は辛卯
第11代垂仁天皇61年 - 西暦32年。辰(たつ)年、干支は壬辰
第11代垂仁天皇62年 - 西暦33年。巳(み)年、干支は癸巳
第11代垂仁天皇63年 - 西暦34年。午(うま)年、干支は甲午
第11代垂仁天皇64年 - 西暦35年。未(ひつじ)年、干支は乙未
第11代垂仁天皇65年 - 西暦36年。申(さる)年、干支は丙申
第11代垂仁天皇66年 - 西暦37年。酉(とり)年、干支は丁酉
第11代垂仁天皇67年 - 西暦38年。戌(いぬ)年、干支は戊戌
第11代垂仁天皇68年 - 西暦39年。亥(い)年、干支は己亥
第11代垂仁天皇69年 - 西暦40年。子(ね)年、干支は庚子
第11代垂仁天皇70年 - 西暦41年。丑(うし)年、干支は辛丑
第11代垂仁天皇71年 - 西暦42年。寅(とら)年、干支は壬寅
第11代垂仁天皇72年 - 西暦43年。卯(う)年、干支は癸卯
第11代垂仁天皇73年 - 西暦44年。辰(たつ)年、干支は甲辰
第11代垂仁天皇74年 - 西暦45年。巳(み)年、干支は乙巳
第11代垂仁天皇75年 - 西暦46年。午(うま)年、干支は丙午
第11代垂仁天皇76年 - 西暦47年。未(ひつじ)年、干支は丁未
第11代垂仁天皇77年 - 西暦48年。申(さる)年、干支は戊申
第11代垂仁天皇78年 - 西暦49年。酉(とり)年、干支は己酉
第11代垂仁天皇79年 - 西暦50年。戌(いぬ)年、干支は庚戌
第11代垂仁天皇80年 - 西暦51年。亥(い)年、干支は辛亥
第11代垂仁天皇81年 - 西暦52年。子(ね)年、干支は壬子
第11代垂仁天皇82年 - 西暦53年。丑(うし)年、干支は癸丑
第11代垂仁天皇83年 - 西暦54年。寅(とら)年、干支は甲寅
第11代垂仁天皇84年 - 西暦55年。卯(う)年、干支は乙卯
第11代垂仁天皇85年 - 西暦56年。辰(たつ)年、干支は丙辰
第11代垂仁天皇86年 - 西暦57年。巳(み)年、干支は丁巳
第11代垂仁天皇87年 - 西暦58年。午(うま)年、干支は戊午
第11代垂仁天皇88年 - 西暦59年。未(ひつじ)年、干支は己未
第11代垂仁天皇89年 - 西暦60年。申(さる)年、干支は庚申
第11代垂仁天皇90年 - 西暦61年。酉(とり)年、干支は辛酉
第11代垂仁天皇91年 - 西暦62年。戌(いぬ)年、干支は壬戌
第11代垂仁天皇92年 - 西暦63年。亥(い)年、干支は癸亥
第11代垂仁天皇93年 - 西暦64年。子(ね)年、干支は甲子
第11代垂仁天皇94年 - 西暦65年。丑(うし)年、干支は乙丑
第11代垂仁天皇95年 - 西暦66年。寅(とら)年、干支は丙寅
第11代垂仁天皇96年 - 西暦67年。卯(う)年、干支は丁卯
第11代垂仁天皇97年 - 西暦68年。辰(たつ)年、干支は戊辰
第11代垂仁天皇98年 - 西暦69年。巳(み)年、干支は己巳
第11代垂仁天皇99年 - 西暦70年。午(うま)年、干支は庚午

【関連キャラ】
垂仁天皇 - 皇后をNTRされ、救われない姫を誕生させる
第11代垂仁天皇