建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと=スサノヲ)、思わず本音を吐露しそうになりながら、オオクニヌシに怒り表す
以前統計して算出した、本サイトの本文における登録タグの集計において、「NTR」、つまり男が女を「寝取られる」というケースが、古事記の中で六つ確認できます。

ラブロマンス・オペラ、愛憎入り組んだ物語の中で、NTRは一つのカンフル剤的な意味合いもあり、幅広い時代で見られる現象として、古事記の中でも顔を出します。言い換えれば、古事記の時代から、NTRというのは特段珍しいことではなく、そこに複数の男女間の物語があれば、自然と湧いて来たもの、と考えられます。

インターネットの時代になって作られたNTRというワードから古事記を見ていく、というのも非常に興味深いものがあります。まずはそれぞれ出てくる個所を確認してみます。

スサノヲ黄泉の国来たオオクニヌシに愛娘スセリを奪われる[本文

神武天皇、死後に実子タギシミミに皇后で愛妻のイスケヨリを強奪される[本文

垂仁天皇、皇后サオをサオの兄で義兄に当たるサオビコに奪われ反逆される[本文

景行天皇、息子のオオウスエヒメ・オヒメの美女姉妹を横領される[本文

応神天皇、日向に名高い美女カミナガを懇願されて息子・大雀命に譲る[本文

仁徳天皇、義妹メドリに恋するも、仲介頼んだ義弟ハヤブサに奪われる[本文

純粋なNTRだけではなく、強奪的なものも含めています。狙っていた、と思われる美女のダンナを言いがかり的に殺して、その美人妻をゲットした安康天皇の件は、NTRというよりはもう完全な強奪なので、除外はしていますが。

しかし、その中でも息子や兄弟に美女を奪われるケースがかなりあることが分かります。また、NTRをきっかけに、あるいはそれが遠因や諸要素になる形で、反逆に発展していく、というケースが多いのも、古事記の一つの特徴と言えそうです。

反逆は極端でも、NTRということは、知ってか知らずか三角関係になる必然性があり、男女間の愛憎をより際立たせることになるのは疑いありません。

まず、オオクニヌシのスセリ強奪ですが、スセリはスサノヲの娘と明記されているものの、系譜には登場せず、この場面でいきなり登場する美女神。当時のことだから、娘とは言いつつも、スサノヲのオンナ(の一人)であった可能性もあります。このことに端を発する、スサノヲの執拗な、陰険なオオクニヌシいびりも、ただ単に娘を取られたことによるものではなく、本当の意味でNTRされたと考えた方がしっくりと来る気がします。ただし、その場合でも、スセリの方でもオオクニヌシを一目惚れしてはいるのですが。

ついで神武天皇の件。これは神武天皇の崩御後のことなので、純粋なNTRとは言いがたいかもしれませんが、東遷前の日向時代の嫁であるアヒラヒメとの子、タギシミミに、東遷後にラブロマンスの果てにゲットした皇后イスケヨリを略奪されたのは事実。そのタギシミミは、神武天皇とイスケヨリとの間の子らも殺害を企て、殺されかけた子ら、つまり後の第二代綏靖天皇に誅されます(タギシミミの乱)。

垂仁天皇の件。これはきれいなNTR。しかも寝取られたのが妻の兄であり、妻と兄は同母兄妹だから、禁断の近親相姦ともなります。垂仁天皇、皇后サオ、サオビコの話、やはり同じく近親相姦の話であるカルミコとカルノの話と並んで、古事記上最も美しい叙事詩的説話の一つとされていますが、それらが双方ともにタブーとされた同母兄妹による合体、実の兄妹愛の話であることは偶然なのでしょうか? また今度触れていきます。

景行天皇の件。これは景行天皇が手を付ける前に、皇子のオオウスが強奪し、オオウスはそれを糊塗するために、別の女たちを偽って父にあてがっている、ということで、純粋なNTRというよりは、美女の横領という方がふさわしいかもしれません。景行天皇もあてがわれた女が偽物というのを知って、その偽物の女たちを結局は抱かない、ということだけで、この話は終わるのですが、後にこのオオウスを問答無用で惨殺したのが弟のオウス、つまり後のヤマトタケルです。

応神天皇の件。これも景行天皇の件に近いものがあり、古事記を素直に読めば、応神天皇が手を付ける前に、皇子の大雀命(後の仁徳天皇)に懇願されて、美女をカミナガを譲り渡す、ということになっています。ただし、カミナガは仁徳天皇との子はもちろん、応神天皇との子ももうけていたそうな史実としての可能性もあり、そうなると、すでに手を付けていた美女を、応神天皇は子に譲り渡したということにはなります。

そういう意味では純粋なNTRとは呼べませんが、しかし、であれば今度は、では何で懇願されたとはいえ、そんな簡単に(楽しみにしていたor寵愛していた)美女を息子に譲ってしまったのか、という疑問がわきます。やはりこの応神・仁徳の親子関係を探るうえできわめて興味深いケーススタディとはなりそうです。

その仁徳天皇の件。これも純粋なNTRではなく、義妹メドリに惚れたものの、恐妻家(仁徳天皇の皇后イワノに対して)過ぎて当のメドリに相手にされない仁徳天皇が、たまたま仲介を頼んだ義弟ハヤブサに、そのメドリが惚れてしまった、という形。それでも親父である応神天皇からカミナガという美女を、何やら強引に譲り受けるぐらいのバイタリティある仁徳天皇が見事に女にフラれ、しかも仲間と信じていた義弟ハヤブサに取られ、挙句の果てにこの二人から反逆されるという、何ともはや、ラブロマンス・オペラの一つの真骨頂的な展開。

事実、このハヤブサとメドリの説話は、先に紹介した古事記の二大叙事詩的悲恋物語、サオとサオビコ、カルノとカルミコの話と並んで、やはり古事記の中では秀逸な恋物語とされています。

どちらにしろ古事記を代表する恋物語が、NTRや近親相姦に綾どられている、とは言えそうで、そうした要素が物語そのものに活力を与えている、だからこそ古事記の時代から失われることなく物語として伝わっている、とは言えるのかもしれません。

普通の美女美男の美しい恋愛物語ではありふれ過ぎていた、ということかもしれませんし、それでは語り継がれる要素が少ない、ということだったのかもしれません。そういう意味で、NTRは古事記の中のカンフル剤であり、古事記が古代日本のラブロマンス・オペラたる所以の一つの重要な要素になっていると言えそうです。

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