若御毛沼命(わかみけぬ)または神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ=神武天皇)、土蜘蛛への騙し討ちにちょっと言い訳する
以前統計して算出した、本サイトの本文における登録タグの集計において、「反逆」、つまり体制に対する反乱、反旗というものですが、それが7個(8つのケース)ほどあります。

先に紹介した反逆」において、反逆された方、反逆した方がそれぞれ相手を騙そうとする、というケースも多く、その意味で、古事記においては「反逆」と「騙し討ち」は対になったワードとも言えます。

まずは、「騙し討ち」の具体的なケースを見てみましょう。

・スサノヲ、ヤマタノオロチを討伐するのに酒樽を大量に用意[本文

・神武天皇、東遷において強敵・土蜘蛛を歓待すると見せかけて一斉虐殺[本文

・ヤマトタケル、男の娘となって熊襲健に近づき暗殺に成功[本文

・ヤマトタケル、出雲健と偽って仲良くなり騙して暗殺に成功[本文

・後の応神天皇、都への帰還に不安で棺の中に偽って入って反乱軍に相対す[本文

・後の応神天皇、反乱軍に母の神功皇后死去の偽情報を流して混乱させる[本文

・応神崩御後の反逆で皇太子、自ら船頭に変装して反逆者を追い詰める[本文

・反逆された履中天皇、弟に反逆者追討を命じ、その弟は騙し討ちでミッション完遂[本文

スサノヲのヤマタノオロチ討伐のは騙し討ちというよりも作戦という色彩が強くはあります。ヤマトタケルが西国遠征においていずれも騙し討ちで熊襲と出雲の巨大な敵を制圧したのは事実。

神武天皇も東遷において、この部分だけ、異質な描写による騙し討ちで敵を粉砕しています。

その他のものは、先に指摘したように「反逆」と対になった形で、あの手この手を繰り返す中で、騙し討ちが利用されているケースとなります。

騙し討ちが卑怯なもの、正々堂々としていないもの、という価値観はもっとずっと後世のものであり、古事記の物語で展開されている時代にはもっと荒々しく、何をやっても結局勝った者が称えられる気風があって、そうした意味で、古事記においてこれらの騙し討ちが卑怯なものであるという認識は、登場人物がそもそもあまり持っていなさそうなのも特徴。

特に、反逆においては、反逆された方が頻繁に騙し討ちを使うことになりますが、そこには罪悪感ナッシングで、むしろ反逆なんてあくどいことをするヤツは、方法問わず滅亡させればよい、というような考え方が濃厚な面も見えます。

ただし、それでも、神そのもの、あるいは貴い神の子孫たちが、競って騙し討ちをする描写が多く記載されているのは、後世の人がこれら古事記の記述を見て、「だから天皇家は貴い」というロジックにはなりずらいもののような気がします。

それとも、神々から連なる家系で、荒々しい古代の中において、騙し討ちを含むあの手この手を駆使して生き残ってきた、ということを強調することで、天皇家の顕彰につながっていったのでしょうか。

先に紹介した「反逆」と合わせて考えると、古事記がやはり天皇家を顕彰する目的で書かれた、とはなかなか言えないようなところがあるのではないでしょうか。これは、後世の人が古事記を読んで、どう感じた(天皇家はやはり立派だ、など)ではなく、あくまでも編者の気持ちとして。

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